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2010年9月

2010年9月29日 (水)

お知らせ

本日午前3時58分
『名誉カンナ平和親善大使』の田辺雅夫さんがご逝去なさいました‥‥‥

田辺さんは橘に球根を提供して下さっていた方です。

須坂から連絡がありました‥‥‥。

3日には、お見舞いに行く予定でした‥‥。

今はこれしか書けません

2010年9月27日 (月)

廿日市市&モンサンミッシェル市姉妹都市提携一周年記念セレモニー

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2010年6月29日 晴天

ここモンサンミッシェルは真っ青な空が広がっています。

白い無地の着物、黒地に真っ赤なカンナの咲いている帯。
凛としてセレモニーに臨もうと思います。 たくさんの『平和カンナ大使』の代表として臨みます。

モンサンミッシェル島の入口で待ち合わせです。
少し早いけれど出かけようと思います。

カンナの造花、エリック市長の『名誉カンナ平和親善大使』の称号の額、廿日市眞野市長からのメッセージの入った額、そして、子どもたちが咲かせてくれたカンナの球根。忘れ物はありません。

だいぶ慣れてきた迷路のような島内の道を島の入口へと降りていきます。まだ観光客は誰もいません。

島の入口には市の庁舎があります。今日のセレモニーはこの庁舎で執り行われます。
今、まさに、国旗を掲揚するところでした。

真っ青な空にそよぐ旗、
「えっ?」‥‥日本の旗ではありませんか‥。

今日のセレモニーを祝して掲揚されたのです。一周年を祝して掲揚されたのでした。

そのあと、フランスの国旗が掲揚されました。

すがすがしい朝に両国の国旗の掲揚。その場に居たのは私だけでした。

なんだか一番よいシーンを独り占めしてしまったようです。と同時に、心構えを感じさせられました。

まもなくすると、観光客が到着し始めました。ガイドさんを伴った中高年のグループがあとからあとから‥‥。こんなにたくさん日本からの旅行者がいらっしゃることを目の当たりに致しました。

さて、本日のセレモニーの内容です。

①桂由美さんの『恋人の聖地』認定式

②橘凛保の『カンナ平和親善大使』認定式

これがメインプログラムです。

モンサンミッシェル市からの参列者は、エリック市長及び市のスタッフ。コーディネーターのコロス氏とその秘書及びスタッフ。

日本からは、桜の植樹のスポンサーのメリーチョコレート社長及び関係者。廿日市宮島の観光関係者。今回のイベントの企画書及びスタッフ。その他関係者の皆さまです。

良平さん(公平さん?)の奏でるしの笛の音色をバックにしめやかに、厳かに執り行われました。

セレモニーの開会式です。
エリック市長の挨拶がありました。通訳はコロス氏です。挨拶の通訳がおわり、いよいよ式典です。

「まず初めは平和のお花、カンナ!」

とエリック市長からの思いがけないうれしいご発声がありました。

式典は順番をかえて、僭越ながら、カンナから始まることになりました。

桂由美さんを差し置いて、カンナからといわれ、正直一瞬躊躇いたしました。
しかし、ここはセレモニーの場です。凛として臨まなくてはと思い直し、桂由美さんに心からの会釈をして前を通り、エリック市長の前に、カンナの造花を持って進みました。

エリック市長のフランス語のことばのあとに カンナの造花を手渡しました。カンナの花を白い鉢に入れて置いて良かったです。この時そうおもいました。
そのままカンナはセレモニーの間ずっとメインテーブルに置かれていました。
エリック市長は『名誉カンナ平和親善大使』を受けて下さいましたのでその称号をお渡しいたしました。廿日市眞野市長のメッセージも受け取っていただきました。

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何よりうれしかったのは、エリック市長の心に、平和の象徴が花であるというお考えがおありだということです。

式典の順番を自らがかえてまで、いちばんに「まずは平和の花から」とおっしゃっていただけたことが何よりうれしかった‥‥、そして、平和の花のことがひびいたのが、この祈りの聖地だからこそ価値があると思います。この祈りが世界中に広がっていってくれると確信しました。

次に桂由美さんの『恋人たちの聖地』認定プレート 授与がありました。

少子化の波を食い止めるためにも、恋人たちの聖地をあちらこちらに認定して、正式な結婚をする人を増やさなくてはてとの思いからではないかと拝察した次第です。ブライダルを手がけてらした桂由美さんの思いが使命となったのだと思います。

式典のあとはパーティーです。ワインでお祝いです。
この式典の模様はいずれユーチューブに掲載する予定です。

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市長から頂いたメダル

2010年9月26日 (日)

冷蔵庫に鍵が

100628_194201_2 喉を潤すために冷蔵庫をあけました。

冷蔵庫は、日本のホテルと同じようにインテリアとしての収納の扉の中に収められています。 バスルームの前のスペースにありました。 収納の扉をあけてびっくり!

なんと冷蔵庫に鍵が刺さっているのです!

日本ではまだ一度もであったことがありません。

『どうしてこんなところに‥‥』
思わず私は鍵を抜いてみました。

握る部分の大きさも大きいし、まさかあうとは思わなかったが、試してみる価値はあります。

最後の頼みの綱です。

おそるおそる鍵穴へ‥‥                                   カチャ!

開きました!開いたのです。

しかも‥いとも簡単に!
えっ〜?こんなところの鍵があってしまうのですか〜?嘘みたいな本当の話です。
しかし、そんなことよりも開いたのだから、それが一番です。
良かったです。夕食までに結果が出て。

皆さんにご心配をかけずにすんで良かったです!

今回のモンサンミッシェルへの旅はなぜだか危ういことが多すぎます。しかしながら、すれすれのところで事なきを得ています。
助かっています。

私は問題が解決して、夕食に出かけることができました。参加者皆でいただきます。モンサンミッシェルの有名なオムレツ、ムール貝のシードル煮、広島から来た牡蠣、そしてお酒はシードルにカルバドス。

明日の準備も調い、みなで頂くお酒、楽しい語らい。笑い声‥‥。今日始めてであった人たちなのに、明日の同じ目的に向かっているというだけでなぜか見えない絆に結ばれているようにかんじました。

明日もきっとよい天気です。
外はまだ明るくてなかなか暮れません。暗くなったら月がきれいでしょう。

暗くなったのは10時半を回った頃でしたでしょうか‥
明るいうちはなかなかお開きにはならないですね。
いよいよ明日は一周年記念セレモニーです

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キーワードは冷蔵庫‥?

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昨夜のテレビ放送の懐かしい映像をみていて思い出したことがありました。

『キーワードは冷蔵庫にあります』

その前に、ここモンサンミッシェルのホテルについて少しお話しいたします。
モンサンミッシェルはもう皆さま、写真をご覧になってわかるように、海に浮かぶ島、島と言うより山と言ったほうがわかりやすいかと思います。

モンはマウンテン つまり山なんです。
サンはセイント ミッシェルはフランス読みですが、英語読みだとミカエル。 そうです。聖ミカエルの山という意味だそうです。
寺院の天空に尖った塔の先には聖カエルの像があります。羽のついた天使です。

周囲わずか900m。ブルターニュ半島とコタンタン半島とが なす湾の奥にある小島です。『天空の城ラピュタ』のモデルとなったのだそうです。

寺院は、その地形や造りから、一時期は、要塞としてもつかわれ、また、監獄としても使われたそうです。
今は、かつて、修道士たちが使った部屋は改装してホテルとして使われています。

となると、迷路のような全貌もしかたないことです。
階段、階段また階段‥。エレベーターもエスカレーターももちろんありません。
特に地図や案内図をもらった覚えもなく、抜け道になりそうだなと思っても、間違ってまたこの階段を上り降りしなくてはならないかと思うと冒険もできず、ぐるりと遠回りを決め込むしかないのです。

そんなホテルのチェックインは、レストランの入口など、お店と一緒というケースがおおく。ポーターはほとんどの場合、お店の従業員でもあるらしく、いつもいるとは限らないのです。
荷物は自力で運ばなくてはならないと覚悟を決めたほうが良いようです。

石造りの階段と大きなスーツケースとお互いに傷つけあいながら、ひきずりあげてなんとか部屋に辿りつくといったありさまでした。
大汗かいてやっと腰をおろして、クーラーのスイッチをさがせど見つかりません。

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やっと見つけたスイッチを仕方なく回して、ほっとしたのも束の間、ほっとはほっとでも hot のほっとです。 汗は引くどころかますます流れてきます。

どうも、こちらは暖房しかないようなのです。

かつて、清里高原のぺンションに泊まった夏、例年にない猛暑でクーラーがなく、避暑にならない高原ライフを経験したことがありますが、ここは、北海道ほどの緯度と思い出し、納得して慌ててスイッチを切り窓を開けると爽やかな風が部屋の中に入ってきました。

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明日のセレモニーには着物で臨むつもりです。スーツケースを開けてハンガーにかけておこうと、スーツケースの鍵を鍵穴に入れて回したとたんに‥‥
鍵がグニャっとまがり、ポキンとおれてしまったのです。

「オーマイゴッド!」 フランス語ではなんて言うのでしょうか? などと言っている場合ではないのです。
間違いなく、大変な事態になっていることだけは間違いないのです。

一度スーツケースから離れて、何か鍵になりそうなものはないかと、部屋の中を探し回りました。

部屋の入口はたしかカードだったと思います。
冷静になってみても、慌てても、ないものはないし、折れた鍵の先は戻りません。

カンナの球根もこのスーツケースの中で無事に到着して出番を待っています。

カンナの造花もギリギリ間に合って今ここにあります。
フランス語版のカンナ大使の証書もスーツケースの中、額入りの市長からのメッセージも栞も‥‥。
みんなスーツケースの中です。
たくさんの人たちの優しい心に触れて、手に触れて、モンサンミッシェルまで来たというのに‥‥。よりによってなんで鍵が折れたのでしょう‥‥。

夢の中の嘘のような出来事なのではありませんか‥‥
最後の手段はヘアピン‥‥髪からヘアピンを外し、先端を開いて、映画のように鍵穴へいれたら、カチャ!
なんてことはないですね。
それでもこれしか残された方法はなく、何度となく試してみるのでした。

フロントへの電話も、フランス語はわからず、英語だって、こんな特異なことはとても説明できないですよね。

日本語で説明したって、そんなばかなというような出来事。

夕食の時に、仲間の誰かにたのんで、鍵壊してとにかく開けていただくしかないと。

最悪はスーツケースを買いかえるしかないと決心したら、急に喉が渇いてきました。

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9月25日BS日テレモンサンミッシェル放映される

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       AUNの良平さんと公平さんにはじめまして。スタッフの服部さんとなべけんさん

   遠くに見えるのがモン・サン=ミッシェル修道院  2010.6.28 (橘の携帯で写す)

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昨夜(25日) BS 日テレで、『和の絆。世界遺産モンサンミッシェル』という番組がありました。

AUNーJクラシックという和楽器を奏でるグループの、モンサンミッシェル寺院、初公演のドキュメンタリー番組です。
二時間枠の特番でした。

実は、橘がカンナを植えた今回の『廿日市&モンサンミッシェル姉妹都市一周年記念行事』のメインプログラムがこのAUN -Jクラシックのコンサートだったのです。

参考までに、今回のモンサンミッシェルでのプログラムは以下の通りです。

2010年6月29日
廿日市市&モンサンミッシェル市姉妹都市提携一周年記念イベント

第一部がセレモニー
①橘の平和の花、カンナ大使認定式
②桂由美さんの恋人たちの聖地認定式

第二部
①桜の植樹
②カンナ植栽

夕方の部
AUNー Jクラシックコンサート

でした。

AUNの皆さんとも、桂由美さんともずっと一緒の行動でした。
AUN のファンの方もご参加の旅で、とても楽しい旅でした。(明日のブログでお話しいたしますが、ここにも実は不思議な出会いがあったのです)

そして、今回、日テレから秋の特番の密着取材が入ったことは、私にとっても良い記録映像をいただくこととなりました。

もちろんAUNの取材ですから、私どもやカンナのセレモニーの様子が映るわけではありません。(時々は移りますが‥)

しかし、カンナを植えたモンサンミッシェルがどんなところなのか‥、どんな人たちと行ったのか‥、
何よりも、まさに6月29日当日が映し出されることで、モンサンミッシェルの雰囲気が皆さまにも、一体感をもって伝わるのではないかと思っておりました。

一緒に、感じていただけたらと思い『お知らせしよう!』と思っておりました。

ところが‥‥、日々の忙しさに、放送日をすっかり忘れておりました。

夜、帰宅すると、ビデオ録画中にに気づきました。
予約録画したモンサンミッシェルの番組のことをこの時思い出したのです。

急いでテレビのスイッチを入れると、まさに、モンサンミッシェルが‥、懐かしい映像が‥流れていました。

(19時〜21時までの放送でしたが、この時、時計はすでに20時を回っていたのでした‥‥事前に余裕を持ってお知らせしなかったことをお詫び申し上げます)

パリーモンサンミッシェル

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パリ→モンサンミッシェル→パリ
ずっとこのバスで移動です(写真橘)


明け方の到着から、バスが走り出す頃にはすっかり明るくなっていました。

モンサンミッシェルはパリから北西へ車で約5〜6時間。緯度は北海道と同じくらいです。
走り出したバスの窓からは、エッフェル塔、セーヌ川が見えました。
いつの間にか睡魔に襲われ、気がつくと、バスは郊外を走っていました。

羊や馬が長閑に放牧されている柔らかな黄緑色に覆われた田園風景の向こうにモンサンミッシェルが見えてきました。


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車窓から、のどかな放牧の風景の向こうに
モン・サン=ミッシェルが・・・(写真橘)


昔、このモンサンミッシェルを目指して、祈りの巡礼に訪れた人々は、一歩一歩迫り来るこの景色を胸に刻みながら、畏敬の念で近づいて行ったのでしょう‥‥。こんなにグングンと近寄ってはなんだか失礼な気もしました。

今は陸続きの道がまっすぐモンサンミッシェルに通じているので、いつでも行くことができます。

昔は、潮の引いたときに一斉に巡礼者たちは急いで歩いて行ったといいます。

満月の翌日や翌々日は大潮でみるみる押し寄せる波にさらわれて、モンサンミッシェルを目の前にして、流された人々がたくさんいたと言います。

ちょうど、滞在したのが大潮の日でした。
目の前にはみるみる上げてくる潮の速さに驚きました!
命がけの巡礼だったのです。

モンサンミッシェルはこの時期は、白夜と呼ばれる時期で、夜暗くなるのは10時半頃です。

昼が長くて何だか得をしたような気がしますが、 日が暮れたらすぐに夜中の12時です。まごまごしていると、すぐに朝になります。

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成田出国

搭乗ゲートに人が見えてきました。
間に合いました。カンナの造花も無事です。
客室乗務員の収納庫に預かっていただくことになりました。

ふう〜、最後の最後までギリギリドキドキハラハラの旅の始まりでした。

終わり良ければすべて良し! 終わりに期待して、満席のエールフランス277便は夜の空へと旅発ちました。


空の旅は 問題もなく無事にパリ、シャルル・ドゴール空港に到着しました。

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2010年9月21日 (火)

ドキドキの成田空港

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ドキドキの成田空港

  

AIR FRANNCEのチケット わかります?
間違えそうですよね43G (写真橘)

                               
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ハラハラドキドキギリギリの毎日を無事にクリアーした私の最後の心配は球根です。

いよいよ成田空港到着。チェックインを済ませ、無事にスーツケースはカンナの球根とともに預けられました。

案ずるより産むが易し。何の問題もなく通過していきました。

ほっとしたのも束の間、問題はカンナの造花に集中していました。
手荷物として機内に持ち込むには大きすぎるのです。かといって預けるには梱包が簡易なためボロボロになるのは必至。

とりあえず、搭乗口で聞いて、ダメな場合は5000円払って乗せるということになり、10分前に乗務員に聞くことになりました。

余裕をもってのチェックイン。手荷物のカンナの造花の背丈の高い箱をキャリアバックに固定して、壊れないように静かに歩いて、いざゲートへ。

43G。これが今日の搭乗ゲートであることをチケット(写真)で確認して、いざゲートへ!
最終便なので、空港内のお店は閉まりかけ、掃除がはじまる時間帯です。

それにしても、人が少ないのです。一番奥のゲートでした。隣の搭乗口から人が乗り込んでいました。

ん‥‥何かおかしい。

もう一度、チケットを取り出してよくよく見れば、なんと43Gは座席のGだったのです。

なんとゲートは反対側奥。大変です。まったく端から端の大移動! あ〜! 10分前には搭乗口へどころか、飛行機に乗れないかもしれない〜〜〜〜。 なんということでしょう。
走ったらカンナが壊れるし。

掃除のスタッフや行き交うスタッフはなんだと思ったでしょうか‥‥、いやそんなこと気にしてる場合ではありません。 なんとしても17番ゲートに辿りつかなくては‥‥‥。

あ〜球根も無事に通過して、フランス語訳の賞状も間に合って、造花のアイデアも実現して、あとは最悪5000円払えば、無事に出国というところまで来たというのに‥‥

いろいろなことが走馬灯のように頭の中を巡っていきました。

確かにカンナの球根だけはスーツケースと共にフランスまで行くのでしょう‥‥

座席のGをゲートと間違えて、みんなのたくさんの協力や夢や希望をむだにしてしまったら、笑いいばなしにもならない。

とにかく、カンナを気遣いながら、ひたすら、早足で歩く他になかったのです。

2010年9月20日 (月)

ハラハラドキドキギリギリの成田②

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フランス語版 「カンナ平和親善大使」 称号の証書 (写真 橘)

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2010年6月27日朝、『名誉カンナ平和親善大使』 の賞状のフランス語訳がパソコンに届きました!

Tさんのおかげです。連絡がつくまでにも何日か要してしまうのに、わずかな時間で承諾を得て、日本語を英語に直してから先生に送ったのだそうです。仕事の合間をぬってのこと、感謝にたえません。

すぐに賞状に印刷して、額に入れスーツケースに割れないように詰めました。出発まであと数時間です。

カンナの栞もすでに届けて下さいました。私の元の栞は、紙でしたが、彼女はパウチして下さいました!
その上、トリコロールのリボンがついていました!感激です。忙しい中でして下さったのに‥‥こんな素敵な気配りをして下さり、うれしかったです。
こちらはIさんが中心になり、Tさんが手伝って下さいました。

ありがとうございました。
これでそろいました。あとは、球根が無事に、私と一緒に旅発ってくれることを祈るばかりです

まだ、もう少しハラハラドキドキは続きます。

2010年9月19日 (日)

ハラハラドキドキギリギリの成田①

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廿日市市長~モンサンミッシェル市長へのメッセージ・特注のカンナの造花(写真 橘)

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2010年6月25日、遂にカンナの造花が届きました!
素晴らしい〜!!カンナです!
しかも赤です!

ありがとうございます、Fさん!
すぐに電話しました。
「届きましたか‥‥良かったです。これで、球根没収されても大丈夫ですね(笑)」落ち着いた声といつもの冗談で私をほっとさせて下さいました。

「請求書が入ってませんがいくらですか?」「橘さんもモンサン行くので大変でしょうからカンナの造花はプレゼントしますよ(笑)」

Fさんはいつも冗談を言って脅かすのですが、たくさん協力して下さいます。
カンナの造花もですが、 廿日市市長との面会、モンサンミッシェル市長エリック氏へのメッセージもFさんのおかげで実現しました。廿日市の小学校3校も紹介して下さいました。

アイデアを下さった、Dさんにもメールをしました。喜んで下さいました。

皆さまに助けていただきなんとか頑張れます。ありがとうございます。
皆さまの気持ちをなんとしてもモンサンミッシェルに運びます!

あとは、フランス語訳です。

2010年9月18日 (土)

モンサンミッシェルへの道

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モンサンミッシェルへの道

各校で咲かせた球根30個 子供たちの『平和への祈り』を届けます

検疫を受けずに海外に持ち出すために根はすべて抜きました (写真橘)

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モンサンミッシェルにカンナを咲かせることが決まり3月半ばからモンサンミッシェルへの階段を一段一段登って行くことになりました。

問題点は植物の球根を海外に持ち出すことでしたが、その前にやらなくてはならないことがたくさんたくさんありました。

廿日市市の小学校での植栽してくれるところを探す。学校のカリキュラムと講演の日程をすり合わせる。

球根を須坂に、前倒しで掘り起こしていただき、廿日市市に送る。

広島市内の掘り起こし作業と回収作業。

豊岡小学校の広島修学旅行の際のカンナ植栽の小学校立ち寄り球根掘り起こし作業の手配。修学旅行同行。
宮島小、中学校への訪問。
廿日市市長への表敬訪問。観光課表敬訪問。

取材の対応、提供資料準備。
旅行会社とのやりとり…などなど、仕事の合間にたくさんのことをクリアーして、漸く球根準備にとりかかりました。

検疫の手順を調べ始めたのが遅かったのです。6月に入ってから、旅行会社のスタッフから、検疫所とのアクセスを教えていただきました。正式な検疫を通すには最低1ヶ月はかかるということがわかりました。

出発は27日ですから、正式な検疫を受けることは不可能と判明したのです。

モンサン出発の 2週間前に廿日市市長からモンサンミッシェル市長へのメッセージをいただきに上がり 宮島小、中学校で講演しました。

廿日市市でカンナ植栽を手伝って下さる方は造園業のFさんです。カンナ球根が無事にフランスに持ち出すことが出来るか…疑問らしいのです。
すると、カンナ大使のFさんは、「きっと捕まって球根は没収されてしまう」と脅かし(?)ます(笑)

そんなことになっては、30校から預かってきた子どもたちの夢や希望が失われてしまいます。
なんとしても、モンサンミッシェルまで持って行かなければならないのです。
いったいどうしたら必ず、持って行くことが出来るか?検疫官に尋ねました。
『髭根や芽をすべて抜いて、土をよく洗い流して下さい』とのこと、勢いよく芽生えた芽を詰むのも根を抜くのもかわいそうでしたが、仕方ないのです‥‥。

爪の中は茶色に染まり、痛くなるほど抜きとりました。
生姜のようになった球根を真空パックして持って行くことになりました。

それでもまだまだ、もしものことがあったら大変です。
カンナ大使Dさんのアイデアで『カンナの造花を持っていったら』これはグッドアイデアでした!
これなら、万が一球根を没収されても、あとから検疫したものを送りますと伝えて、こんな花が咲きます。と伝えることが出来る! グッドアイデアです。

しかし、カンナの造花など見たことも聞いたこともありません。

今度はFさんです。『知り合いの造花屋さんに頼んでみよう!』とすぐに携帯を取り出して連絡して下さいました。

「赤は無理だが黄色のカンナなら作れます」とのお返事です。さっそく、特注のカンナの造花をお願いしました。

こんなうまい話の展開にびっくりです。

しかし、すでにこの時、出発まで13日を切っていました。

もう一つ問題がありました。モンサンミッシェル市長エリック氏が『名誉カンナ平和親善大使』を受けて下さることになったのです。こんなにうれしいことはありません。

しかし、問題はフランス語訳です。
『名誉カンナ平和親善大使』の称号を証した賞状のフランス語訳です。

何人かのフランス語に精通している人にお願いしてみましたが…責任重大と断られてしまいました。

日本語版で仕方ないかなと諦めた時、救世主が現れました。

私の生徒のIさんとTさんが、何か役に立つことはないかとレッスンの時に言って下さったのです。

『お土産に、カンナの栞を作ろうと思っていますが、』というと、快く引き受けて下さいました。

栞の裏に「カンナで繋ぐ平和のバトン!世界中の人の心に平和の花を咲かせましょう!」とフランス語で書けないかしら?と尋ねると、フランス語を習っていたので、知り合いの先生にお願いして下さるとのこと、賞状のことも聞いてみると言って下さいました。

この時、出発まであと10日です。

仕事のスケジュールいっぱいの10日間。球根掘り起こし根を抜く作業、賞状や額の購入。小学校での講演と植栽‥‥。いっぱいいっぱいの毎日でした。

旅行会社との打ち合わせもやコーディネーターとの打ち合わせもそこそこでしたが、その不安よりも、とにかく成田を無事に発つことしか頭にありませんでした。

造花は間に合うか?フランス語訳は引き受けて下さるのか‥‥

ハラハラドキドキの毎日でした。

2010年9月17日 (金)

海に浮かぶ祈りの聖地

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早朝のモン・サン=ミッシェル 2010.6.30 (写真橘)

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皆さまは、厳島神社のある広島の宮島、廿日市市とフランスのモンサンミッシェル寺院のあるモンサンミッシェル市が姉妹都市であることをご存知ですか?

同じように海に浮かぶ祈りの聖地がそれぞれの都市を結び2009年5月、姉妹都市提携をしたのです。

その事を知ったのは2010年3月11日。
こんなに何度も広島に行っているのに分からないものですね。

たまたま、2年前に知り合い、カンナの球根を植えることを話した人と2年ぶりに会うことになりました。2年間連絡をとっていなかったのですが、共通の知人からお茶会を頼まれたことに端を発し、会うことになったのです。今までの報告をしようと思い、再会となりました。

ちょうど二人が空いていた3月11日に会いました。

Wさんは、前日にフランスから帰ったばかりだと言うのです。
詳しく聞くと‥‥

宮島とフランスのモンサンミッシェルが姉妹都市提携をしてちょうど一周年。記念行事を6月にする。そのコーディネートを引き受けて、モンサンミッシェルに行って来たところだと。
モンサンミッシェルから宮島への贈り物は決まったのだか、宮島からモンサンへの贈り物がまだ決まってない。…と。

「カンナにしましょう!」口をついて出た。(そうですよね、カンナですよ)

Wさんも、「決まり、カンナにしよう!」そんなことが6月29日のモンサンミッシェルのセレモニーへとつながっていったのでありました。

もし、Kさんにお茶会の依頼をいただかなかったら…
二人が再会した時にモンサンミッシェルの依頼がWさんの元に来てなければ…

贈り物が既に決まってしまっていたら…

一年前に姉妹都市提携がなかったら…

宮島が廿日市と合併にならなかったら…などなど。
ご縁は一瞬遅からず早からず なのでしょう。

2年前、突然現れて、カンナの話に感動して下さったWさん。〆切2週間前という内閣府のとてつもなく大きな助成金申請を私に勧め、音信不通になり2年。 不思議な巡り合わせです(笑)

因みに2年前の内閣府の企画書は、大変なものでした。
わずか2週間で100万円と1000万円の二つの企画書を書く結果になりました。

100万円の企画書は、ゴールデンウィークの飛び石連休の10日の間に、広島市平和推進課で議題に乗せて検討下さり、広島市の推薦をいただけることになりました。(これだけでも凄いことだと思います(笑))

しかし、あとから1000万円の企画だとわかり、あらたな企画書を書き直した時には、「そんな大きな企画書に数日で推薦を決めるわけにはいかないので…」と言われてしまったのでした。

かくて迷宮入りした企画はいつ陽の目をみるかわかりませんが…、大事にあたためてあります(笑)

さてさて、モンサンミッシェルにカンナを咲かせる話でしたね。

2010年9月16日 (木)

カンナの写真を撮った人

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1945年9月中旬 朝日グラフ記者松本栄一氏写す

2001年原爆資料館リニューアルにて、畑口實(当時館長)が掲げる

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今日は9月16日。

65年前のちょうど今頃です。カンナの写真が撮られたのは‥‥。

2006年の春先、朝日グラフの記者松本栄一さんが撮った物だとわかり、松本さんの住まいを探しました。
東京の池袋の近くだとわかり訪ねました。
残念ながら訪ねあてた所は駐車場となっていました。
松本さんは2004年12月中旬に亡くなっていました。

通りすがりの方が教えてくださいました。大家さんを知ることができ、訪ねました。
松本栄一さんにはご子息様がいることがわかりました。

ご子息様を探して数ヶ月後、渋谷でお目にかかることができました。そして一冊の本が手渡されました。

「真っ赤なカンナが咲いているのをみて…」とありました。

白黒の写真に、天から赤い絵の具が注ぎ込まれた一瞬でした。

2004年9月、カンナの写真を通して松本栄一さんに出会った。その年の12月半ば松本栄一さん急死。2006年9月ご子息との出会い‥‥。

資料館の最後に掲げられたカンナ!誰も足を止めて見てくれないカンナ!

私が足を止めて、涙を流して見つめたのをきっとカンナは喜んだのでしょう!
そのあとも不思議な出会いや不思議なことがたくさん起きたのです。

まるで、「私の咲いたことを伝えてね!」とカンナが言っているかのように‥‥

様々な不思議がついに、今年2010年、祈りの聖地=モンサンミッシェルへと導きました。

2010年6月29日、今までに咲かせて下さった学校の中から提供下さった30校それぞれ一株ずつをモンサンミッシェルで植えました。

カンナを子どもたちと植えながら「世界の平和と地球の未来」を祈り続けて参りました。

広島で咲いた希望の花が、国境を越え、言葉を越えて、祈りの聖地で今咲いているのです。

橘の一歩は小さな一歩です。しかし、毎日の祈り、子どもたちの祈り、66人のカンナ平和親善大使(愛称カンナ大使)の応援の気持ちが、未来の地球のために無限大の祈りをこめて、カンナを咲かせてくれています。

カンナはいつか世界中で咲いてくれるでしょう!

いつか、広島に世界中から里帰りしたカンナ街道ができたらいいなと思います。

(カンナのくれた奇跡は冊子「広島に咲いた希望の花=カンナ‥五年間の奇跡と軌跡」にあります)

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2010年9月15日 (水)

カンナで繋ぐ平和のバトン!世界中の人の心に平和の花を咲かせましょう!

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広島市立大州小学校で咲いたカンナ 2009年夏
 (写真 長谷校長先生)

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カンナプロジェクトのブログを始めます。橘凛保と申します。

「カンナで繋ぐ平和のバトン!世界中の人の心に平和の花を咲かせましょう!」をキャッチフレーズに希望の花ー真っ赤なカンナの花を子どもたちと咲かせています。

現在、広島、長崎、沖縄、東京、大阪、兵庫県豊岡、鹿児島奄美大島と霧島、三重県伊勢、長野県須坂、フランスのモンサンミッシェル、そして、パリで咲いています。

なぜ「平和のバトン」なのでしょうか…?

なぜ「真っ赤なカンナ」なのでしょうか…?

今から65年前、日本には悲しい出来事がありました。忘れてはならない悲しい出来事が……。

1945年8月6日8時15分
人類史上初めての原子力爆弾が広島に落とされました。
なんの前触れもなく突然に……。

花も 人も 鳥も 草も 犬も 蝶も 家も ‥‥‥

すべてが一瞬に消えました。

何が起きたのか、まったく考える術も与えられず ただ、ただ、悲惨な現実だけがそこにはありました。
しかし、ひと月後‥‥瓦礫と化した真っ黒な焦土に、爆心地からわずか820mというところに‥‥真っ赤なカンナが咲いたのです。 緑の葉を豊かにゆらしながら真っ赤なカンナが咲いたのです。

みなさんも目を閉じて、この光景を描いてみてください。75年は草木も生えないといわれた、絶望の地に‥真っ赤なカンナの花が咲いている光景を‥‥

真っ黒な大地 真っ赤なカンナ 青々と茂る緑の葉
広島は見事に復興しました。

どんなに恐ろしい爆弾も 小さなカンナの生きる力を奪い取れなかったのです。
人々の生きる力を奪い取れなかったのです。

真っ赤なカンナは自らが率先して、明るく元気に、希望をもたらしてくれました。
生きる勇気をくれました。

そういえば、私が子どもの頃は この花はあちらこちらに咲いていました。駐車場の片隅、電車の線路脇 家家の庭の隅に‥‥

誰も世話をしないようなところにも、健気にしかし元気に明るく咲くカンナ

人と同じくらいの背丈に伸びたカンナの花 不思議な力強さを秘めた元気な花です。

広島の子どもたちはカンナの花を知りません。

いいえ、広島の人たちは、この生きる勇気と希望をくれたカンナの花の咲いたことさえ知らなかったのです‥‥‥。

2004年初めて広島に行った橘凛保は原爆資料館で一枚の写真と出会いました。
カンナの写真です。

「絶望」「絶望」を見せつけられた資料館の最後に 橘は「希望」を見つけました。

20005年8月、橘はカンナの物語を発表しました。
120人の聴衆の誰一人として、カンナの花が咲いたことを知らなかった。

そこから、橘のカンナの旅は始まったのです。

明日に続く

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