« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月10日 (日)

『無我』 ということ

101006_004601_2  

   いつか世界中でこんな会話がなされることを祈って 冊子口絵 (イラスト・photo橘)

2010.10.01 この日は私にとって大きな別れ道になりました。

カンナの球根を探して、須坂と出会い、田辺さんと出会い、広島の子どもたちとカンナを植え、株わけ植栽、里帰り植栽を思いつき、モンサンミッシェルにも植えました。

「平和の花、カンナをバトンに 世界中の人の心に平和の花を咲かせましょう!」

今は、広島、長崎、沖縄、東京、大阪、鹿児島、奄美大島、三重、兵庫、須坂、フランス、モンサンミッシェルとパリ、スペインのグラナタ、ピトレスに、そして香港に植えられています。

世界中に咲くかもしれません。

そうなんですね‥田辺さんのカンナは世界中に咲くから、須坂からではもうお世話が間に合わなくなってしまい、天国にあがられたのですね。

27日にカンナはもういいかな、やめようかな なんて思ってしまいました。

田辺さんが29日に亡くなりました。

1日、明け方から家を出て、一日中須坂にいて、たくさんの方々に出会い、田辺さんのこと、カンナのこと、いろいろ考えることができました。

田辺さんがいろいろなものを見させて下さったのだと思います。

立ちどまって考える時間を下さったのだと思います。

そして、私がカンナを見つけたのではないことを教えてくださいました。

カンナが私を見つけたのです。

カンナは私ならみんなに伝えてくれると思ったのかもしれません。

お金もちでないのにお金に執着しない私を、
感動しやすい私を、
思い立ったが吉日、石橋は叩かずさっさと渡ってしまう私を‥‥

カンナが待っていたのかもしれません。

名古屋で出会ったお絵解きのご住職は、

「あなたは佛様と人間の間にいる人なんです」とおっしゃったことを思い出していました。

「なんで、そんなにカンナのこと一生懸命やれるの?」と聞く方もいらっしゃいます。

「なんでだろう‥わからない、ただ思いつくままにやってるだけなのです。」

先のことを考えたこともなく、ただ思いつくままに‥‥そんな六年でした。

ご住職は更におっしゃっいました。

「佛様は『慈悲』、人間は『欲』です。その間にあるのが『無我』です」

「あなたのなさっていることは『無我』なのです。」と、

その時、お腹になにかがストンと落ちたのを感じました。

「なぜ?」の問いに答えを出さなくて良いのです。だって本当にわからないのですから。

でも人間だから体が疲れてしまうことがあります。
心が疲れてしまうことがあります

こんな時に励まされるのが『カンナ大使』の皆さまです。皆さまからの登録用紙です。

皆さまからのメールやお手紙です。

皆さまのかけがえのない協力です。

私は疲れるとカンナ大使の登録用紙を捲ります。

今では72枚です。 72枚めくる内にだんだんと元気が出てきます。

いろいろな協力の仕方を示して下さいます。

本当に有難く貴い方々です。

このブログも、カンナ大使の方が立ち上げて下さいました。

冊子も85歳84歳の方が見かねてつくって下さいます。

カンナの球根を何校にも届けて下さる方

掘り起こした球根を集めて送って下さる方

講演する学校を探して下さる方

駅から送り迎えして下さる方

広島でのひとりぼっちの食事にご一緒下さる方 、ご馳走して下さる方

あたたかいメールやお手紙、写メールで送られてくるリアルタイムの元気に咲いたカンナの写真

真剣にカンナの話を聞いてくれる子どもたち

子どもたちの感動と驚きの顔

球根掘り起こした時の喜びの笑顔

子どもたちから寄せられる感想文

田辺さんのことを心配して涙してくれた子どもたち

治ったと伝えたときの子どもたちの歓声

訳もわからなかったでしょうに忙しい中、時期外れに田辺さん代わって球根掘り起こして何度も送って下さったご子息様

新聞の記事の取材だけで終わりにしないで、自分の家のベランダにカンナを咲かせてカンナ大使になって下さった若い記者の皆さん

新聞がでると、出てたよと言ってわざわざ買って送って下さる方

‥‥‥心から感謝しています。皆様のおかげさまで何とかやっています。

それなのに・・・やめようかななんて言ってしまった私はなんて浅はかなんだろう‥

こんなにたくさんの人たちが、惜しみなく貴い協力と応援をして下さるのに‥‥

なんともったいないことを口にしてしまったのだろう‥‥

カンナ大使の皆さんもたぶん『無我』で協力して下さっているのだと思います。

こんなにたくさんの『無我』が集まっています。

きっと世界中にカンナは咲きますね!

田辺さん、天国から見守って下さい。


ほら私を見て下さい
私は今日も咲いています
たくさんの貴い命を頂いて
しおれてなんていられません
メソメソしてなんていられません
未来はあるのです

ほら私を見て下さい
命は生きています
命をつないでいきましょう 堅実な未来のために
そして伝えていきましょう 大切な未来のために♪

―創作浄瑠璃『広島に咲いた希望の花カンナより―

これは6年前に作ったカンナの物語のエピローグです。

今、私は咲きます。たくさんの人たちの貴い力を頂いて
萎れてなんかいられません メソメソしてなんかいられません

これが須坂へ行って得られた答えでした。

2010年10月 9日 (土)

素敵なご家族とご友人

葬儀、告別式、お斎もすみ、ご親族はお墓に納骨に行きます。

ご家族が戻られるまで家で故人を偲んでいただけないでしょうか?と言っていただき、

車も置いてあるので、一緒にご自宅に戻りました。

いつしか話は浄瑠璃とか、カンナのことになり、11月14日の須坂での公演の話になりました

「田辺は残念に思っているだろう」
「ようし、俺たちがみんなで行こう!たくさん人連れていくよ!」

そう言って下さいました。
「俺たちでカンナの後援会作ろう!会長はOさん、やってくれるね。」
「いいだろう」ということで後援会ができるかもしれません。

カンナ大使にも直ぐに5人が登録して下さいました。
田辺さん!田辺さんが仕組んで下さったのですか‥‥?そうなんですね‥‥。

11月14日はまだ49日前、田辺さんもまだ仏にならず、こちらの世界にいらっしゃるのですよね。

田辺さんも聞いて下さいね‥‥。
3年たってやっと浄瑠璃カンナを聞いていただけます。

田辺さんの昔話に花が咲き、田辺さんがどんな方だったのか知ることができました。

日はとうに暮れて真っ暗になりました。

ご親族の皆さんが帰ってらっしゃいました。

四十九日に近い日曜日が14日ですが、ご僧侶も公演にかけつけて下さるということ、皆さまも見に行くということから、先に法要を伸ばして下さったそうです。

奥様が「私どもも行きます。楽しみにしています。今日は遠くからありがとうございました」と。

ご子息様も車まで送って下さいました。
「今日はありがとうございました。父も喜んでいると思います。これからはカンナの球根は僕が送ります。続けて下さい。」と。

「ありがとうございます。子どもたち喜びます。今日は朝からずっとご一緒させていただき恐縮しています。田辺さんのお人柄や須坂というところがわかりました。
田辺さんのご冥福を心からお祈りいたします。どうぞ、これからがんばってください。」

朝、私の到着まで儀式を待っていて下さった奥様、お宅に着いた時、直ぐに迎えて下さった奥様、千羽鶴を棺に入れて下さいました。絵本は残して下さいました。ご配慮下さいました。ご自身のほうが大変なときなのに‥‥。

まだお若いのに立派に喪主を勤められたご子息様。

田辺さんがカンナ街道をここまでなされたのは、ご家族やご友人の皆さまがいらしたからなのだと改めて思いました。

14日は田辺さんに捧げる公演として頑張りたいと思います。

見て下さいね田辺さん。
聞いて下さいね田辺さん。

101010_025201

須坂公演のチラシを見ることなく田辺さんは・・・棺に納められたポスター

.

2010年10月 8日 (金)

カンナ大使Oさん2010.10.8

訃報を知らせるメールに名前を入れなかったので、「このメールはどなたですか?」のメールがはいり、あらためてお知らせした後のメールです。

Oさんから‥

よくわかりました。そうですか
わからないですね命つて・・
大切にしないと命
元気で長生きしたいですね・・
《人生は一度きり》
人生は一度きりだという考え方は人間を二つに分ける。
一つは人をよいほうに向け
一つは人を悪いほうに向ける。
どうせこの世は一回きりだ、太く短くおもしろくぱつとゆこうという者は、後者の人間となり、この世は二度とないのだから、生きられるだけ生きて、生まれてきた意義を見いだし、世のため人のため何かをしてゆこう、という人は前者の人となる。
人生の詩、一念の言葉でした。

5月26日田辺さんの留守番電話の伝言

5月26日、未明に、「ずっと電話してるのに通じない。もう橘さんとは会えない。」と言う伝言がありました。

私は朝起きて、この伝言を聞き、

『何か私、悪いことしたかしら・・・』と思ったほどでした。まさか癌だなんて、入院してるなんて思っても見なかったからでした。

・・・会えないという意味がそういうことだなんて・・・全く想像することができませんでした。

8時頃だったでしょうか、少し電話をするには早いとは思ったものの、伝言が気になり、思い切って携帯にかけてみました。

そこで、初めて田辺さんが癌だということを知りました。医者に見離されたとおっしゃいました。

「だからもう橘さんとも会えない、カンナが途中で終わってしまうのは申し訳ない。」

そうおっしゃっいました。

「行きます!須坂にいきます!お見舞いに行きます!」

「ありがとうございます。でも遠いから・・・」と田辺さん。

「広島で子供たちと球根掘ってきました。届けに行きます。必ず行きます!」

28日お見舞いに行きました。子供たちの文集、カンナを植えてる写真、掘り起こしてる笑顔、各地で掲載された新聞記事、昨年夏に放送された須坂のニュースのDVD、名誉平和カンナ大使の称号の賞状・・・。これらを持っていきました。

「余命1ヶ月と宣告されたんだ」とおっしゃる田辺さんにDVDを見ていただきました。

「カンナは生きるんだという力をくれる花なんです」と田辺さんはそのニュースのインタビューに答えて話してるのです!

子供たちの様子やモンサンミッシェルに植えに行く話しや、いろいろな不思議の話など一時間ほど話しました。

長くいては体に障ると、後ろ髪をひかれる思いで病室を後にしました。

6月19日、いよいよモンサン行きも近くなってきました。広島の学校で田辺さんのことを話したら、手紙、寄せ書き、千羽鶴などを送るから住所教えて、と言う子供たちのことを伝えたかった。素直に大変だと思い涙して祈ってくれた子供たちのことを伝えたかった。

お電話しました。夜の8時頃です。病院はいつかけたらよいかわからないので躊躇します。

思いきってかけました。すると・・・

「橘さん!奇跡が起こったんだよ!」  えっ、もしかして・・・・期待でいっぱいになります。

「DVDがもらえることになったんだよ!」 あのニュースのDVD{のことです。

最近は自分の映っている映像でもなかなか外には出さないのが放送局のやり方だそうです。そのDVDを田辺さんもほしいと頼んだそうです。

正直、期待したこととは違っていました。

『ドラマや小説じゃあるまいし・・・そんなことなんかあるわけないよね・・・・』と苦笑していると田辺さん

「橘さん、もうひとつ奇跡が起きたんだよ!」

もう。今度こそ、このことしかない!そう思いました。

「橘さん、これは本当に奇跡中の奇跡!大奇跡なんだ!」

事実は小説より奇なりです。

癌が消えたのだそうです。

しかも、今日夕方わかったばかり。まだ誰にも報告してないときに、私がお電話したので、こんなうれしい話を一番先にきくことになったのです。

「癌が消えた!」

奇跡です。子供たちの祈りが通じたのかも知れません。二日間で200人近くの子供たちの祈りがひと時に結集したのです。

これで安心して モンサンミッシェルにいかれます。本当によかったです。信じられない奇跡の事実です。

田辺さんはその後も順調に回復されたようです。

帰国報告でお電話したときは、退院したと、

暑い夏だから大丈夫かしらとかけたときは、10m歩けたと

「広島はカンナは何月まで咲いてるの?」と田辺さん

「11月頃まで咲きます」橘。

「子供たちに会いに行きたいな。カンナが咲いてるうちにいきたいな」と田辺さん

「行きましょう!必ず一緒に行きましょう!」

約束しました。

「車の運転ができるようになったよ。自分で運転して通院できるんだ。」

講演の報告をするたびに、どんどんよくなっています。

抗癌剤の投与が始まると、苦しい日があるとおっしゃっていました。

最後にお電話したのは、9月21日。大阪の小学校の公演の報告をしようと思いかけました。

すると田辺さんは、「橘さん悪いっ、苦しくて電話がしゃべれない、切ってもいいかな」」と。

「わかりました。切ります。お大事にしてください。またかけなおします」

・・・・これが最後になってしまったのです

最後まで見送った須坂

最後まで見送った須坂

祭壇には真っ赤なカンナが咲いていました(写真橘)

一時間半を待合室で待ちました。

朝から須坂での唯一の知り合いであるOさん(カンナ大使)が私を気づかって下さいました。
世話役のTさん(このたび、カンナ大使になって下さいました)も気づかって下さいました。

待合室ではご親友のお二人が田辺さんのことをたくさん話して下さいました。悪友三羽烏だと言って笑わせて下さいました。

田辺さんと親友のお二人は、話し方や雰囲気がよく似てらっしゃいます。

「田辺がいなくなったら、誰がケンカの仲裁するんだよ‥なっ‥そういうやつだったんだよ」

と話して下さいました。

こんなことがなかったら、私はこの先何年たっても田辺さんのことを知らなかったのではないかと思います。

一時間半後、ご位牌と遺影とご遺骨はセレモニーセンターの祭壇に供えられました。

葬儀の前に、三木市長(名誉カンナ大使)からの表彰式が執り行われました。

田辺さんの代わりにご子息様が受けられました。

市長からの言葉は、田辺さんがカンナ街道に多大な貢献をされたことと、世界に須坂のカンナが咲くことになったカンナ・プロジェクトへの貢献を讃えるものでした。

会場内は拍手で包まれました。

三木市長にはお手紙とお電話でお話したことがあります。私の冊子を読んでくださり、

「冊子は長野県の助成金で本にできないか検討したいです」とお電話を頂きました。

今日はじめてお目にかかりました。

葬儀はしめやかに執り行われました。須坂中の方々がお焼香に駆けつけました。

お斎の席にもごいっしょさせてくださり、挨拶まで頼まれました。

私もありがたくお話させていただきました。

何故ここにいるのか皆さんわからなくて、誰だろうと不思議に思ってらっしゃると思ったからです。

田辺さんとの出会い、広島の原爆からひと月で咲いたカンナのこと、カンナを咲かせている子供たちのこと、株分け植栽のこと、モンサンミッシェルのこと・・・・

献杯の後の食事のときなのに、皆様、箸を休めて聞いてくださいました。

本当にありがたく涙なしでは話せませんでした。

話の後、ご僧侶が声をかけて下さいました。数人の方が声をかけて下さいました。

その中に、広島の平和の歌を合唱団に入って、長年にわたり歌ってらっしゃるご夫妻がありました。カンナ大使になって下さいました。

また、もう一人、5月26日未明、留守番電話に田辺さんから伝言の入った日、病院にお見舞いされていた方が、「あなただったのね。あの日の大事な電話と言ってたのは!」と声をかけて下さいました。

5月26日、未明に、「ずっと電話してるのに通じない。もう橘さんとは会えない。」と言う伝言がありました。

.

2010年10月 7日 (木)

ご自宅からの出棺

2010年10月1日、午前8時半過ぎだったでしょうか?

身支度の整った田辺さんは、長く住まわれた家を出られました。

「行って参ります」という挨拶の意味を深く感じました。

田辺さんはもう戻っては来ないのです‥‥。

車は火葬場へと向かいます。

三育小学校の皆さん、ごめんなさい。全校の皆さんがせっかく折ってくれた鶴を一緒に火葬します。

でも、皆さんの千の鶴が田辺さんを天国にいざなってくれるでしょう。

そう思います。

絵本はご自宅に残して来ましたからね。皆さんに読んでいただきますね。

田辺さん、三育小学校の子どもたちが千の鶴とともに田辺さんのことを思っています。

6月に講演、演奏会のあった広島廿日市の佐方小学校、平良小学校、宮島小学校中学校、広島市の基町小学校の皆さんも田辺さんのことを思って寄せ書きや手紙、送ってくれました。

みんなの祈りが通じて大奇跡を起こしたと思っています。みんなで大喜びしたのです。

大喜びして、油断してしまったのです。治ったと安心仕切ってしまったのです。
8月に講演した鹿児島の牧之原中学校の皆さんには元気になっていると伝えました。みんなで奇跡に感動しました。M先生は来年長野に行く計画をしてらして、無言館と田辺さんに会いに行くと‥‥

ごめんなさい。まだ完全に治ってなかったのに‥‥。安心してしまいました。

だから残念で涙がとまりません。祈り続けなかったことが悔やまれます。

田辺さん、せめて子どもたちの祈りのこもった千の鶴と一緒に空に上がって下さい。

・・・・・11月までに広島の子供たちに会いに行くとおっしゃって下さったけれど、これからはいつも一緒に行って下さるのですね!カンナを守って下さるのですね。子どもたちの様子が見えるのですね。

田辺さん、子どもたちにカンナを通して、生きる希望と力をあげて下さい。

たったの4回会っただけ。電話だって数えるくらいだったと思います。

しかも、ほんの数分‥‥。
それなのに、今、私は田辺さんのご家族やご親戚、ご友人の皆さんと一緒に田辺さんを見送っています。

火葬場の待合室で、ご子息様がご挨拶に見えました。朝は、ゆっくり話す状況ではなかったのでした。

ご子息様から、「今日、市長から賞をいただくことになりました。

橘さんがカンナを世界で咲かせて下さったおかげです。ありがとうございました。」

私の心の言葉

『とんでもない!田辺さんのおかげで、カンナを咲かせられたのです。だからモンサンミッシェルにも植えられたのです』

「11月14日の須坂での橘さんの公演のボスターが一昨日届きました。父はみることができませんでした。」

私の心の言葉『・・・・・・・』

「今日は遠くから朝早くから父のためにありがとうございます。最後まで見送っていただけたらと思います。」

私の心の言葉

『お邪魔でなければ是非最後までお見送りさせてほしいです』

私は言葉にできず、ただただ涙があふれました。

ご子息様は、田辺さんによく似たお顔だちです。しっかりした青年です。
まだ25歳です。

喪主を立派に勤められていました。

2010年10月 6日 (水)

広島カンナ大使Yさん 2010.10.6 0:35

橘さま

ごぶさたしております。
田辺さんが亡くなったこと、ただただショックです。
取材の最中は、最近また元気になられたという話も聞いていたので、尚更です。
ご冥福をお祈りします。
橘さんが宮島小学校の生徒の前で、涙を浮かべながら田辺さんのことを話されたこと、
電話取材の時に、田辺さんが球根をただで提供してくれたことを語る橘さんの姿を思い出すと、
いかに橘さんにとって、このカンナプロジェクトにとって田辺さんの存在が大きかったかということを感じてきました。
落ち着くまでしばらく時間がかかると思いますが、カンナプロジェクトをこれからも、応援しております。

広島カンナ大使Aさん 2010.10.5 23:56

私の方こそ、突然の訃報に驚き、早くお返事を…と書きかけては保存し…なかなかお返事できず申し訳ございませんでした。

大切な方を亡くされ、どんなにかお気を落とされていらっしゃるでしょう…

田辺さん、カンナ(神無)月を待たず、旅立たれたのですね…
映像でしかお会いできませんでしたが、もうあの素敵な笑顔にお目にかかることはできないなんて、淋しいです。

田辺さんの奇跡のご回復のお話に涙したのは、ついこの間のことですのに…
モン・サン=ミッシェルから帰国したばかりの、暑い夏の朝でした。

海を越えたカンナの球根。田辺さんの子どもたち。
元気に花を咲かせてねと、土に埋めて帰りましたね。
セレモニーの風景、しっかりと心に焼き付いていますよ。球根を手渡された時の感触も、はっきりと覚えています。

広島の子どもたちへ会うため、リハビリを懸命になさっているお姿を想像し、田辺さんの清らかな願いが叶いますように、どうか私たちの声援が届きますように、お祈りしておりました。
きっと、三育小学校の子どもたちが心を込めて折ってくださった千羽鶴は、凛保さんのお手元にありながらも、大切な手紙をすべて携えて、ちゃんと、田辺さんの元へ羽ばたいて行っていたと思います。
千の風となって。

天命を全うされて、きっと天国でにっこりほほえんでカンナプロジェクトを見守っていらっしゃいますよ。
私たちが行く頃には、カンナの花畑ができているかもしれませんね。

睡眠時間も削って、活動なさっている凛保さん。
がんばりすぎです。

大きなプレッシャーとストレスに、体が悲鳴を上げていらっしゃるのではと、ずっと心配しておりました。
疲れた、やめたいって思わなかったらロボットですよ。

時にスローダウンし、思いきって活動を休止なさってしっかりと休養(充電)されたりしながら、凛保さんの歩くペースで、ご無理をなさらず、みんなで優しさのバトンをつなげて行けるように。

私も、宮島の16・17日のモン・サン=ミッシェルのイベントのことは、ポスターで見て、16日の午後にでも行ってみようと思っていたんですよ

17日に行くことにしますね。
ぜひ凛保さんに、お会いしたいです

.

須坂というところ

須坂はカンガルーのハッチで一躍有名になった市でもあります。臥龍公園にはボクシングをするカンガルーのハッチがいます。ちょうど赤ちゃんが生まれたところでした。

温泉もあります。

果物街道としても有名で、杏、桃、林檎‥‥ たくさんの果物畑があちらこちらに見えます。

小布施も近いから栗も美味しいのではないでしょうか?

観光巡りまでして下さり、駅まで送って下さいました。

帰りにHさんの自宅により、「うちで採れた林檎です。」と、たくさんの林檎を下さいました。

Sさんは「ばあちゃんの漬けた漬物です。」といって漬物を差し出して下さいました。

初めてお目にかかったのに、須坂にとってなんの得にもならない人なのに、

カンナや林檎や漬物と一緒に、両手に持ちきらないほどのお土産をいただきました。

なんだか、須坂がとても身近に感じられました。

とてもうれしい、温かい気持ちに包まれて電車に乗りました。

走り出した電車の窓の外に真っ赤なカンナが揺れていました。

夕暮れ間近の風が、夏の終わりを告げるように カンナの花を優しく揺していました。

田辺さんという人・・・人となり

どこにでもあることです。

ボランティアの人たちの中にもいろいろな人がいらっしゃいます。

たくさんの回数参加して頑張る人、あまり参加しない人。実行力のある人。縁の下の力持ち的な役割を担う人。

惜しまず働く人。口ばかりの人・・・・。

どこでも問題はつき物です。

たくさん参加する人の負担は増える一方、どうしても不公平感が溜まってきます。

「私ばっかり!」とか「参加しない人はずるい!」などの不満です。

須坂でも、あるグループでそんな問題が起きていたそうです。

ある日、その中の代表格の方が田辺さんに相談にみえたそうです。

「〇〇さんは、ひとっつも出てこないで困る!好きな時だけたまに来て、勝手過ぎる!みんなの輪を乱す!

なんとか言ってくれ!なんとかしてくれ!」

‥‥と。

私ならどうするでしょう‥‥

「まあまあ、言いたいことは聞きますから落ち着いて、〇〇さんにも事情があるのでしょう‥‥」

のように、たぶん穏便に済ませるでしょう。

田辺さんはどうされたのか?とても興味がありました。

「辞めてもらったよ」

えっ、どちらに?どちらに辞めてもらったのですか?
参加しない〇〇さん?
相談にきた方?

田辺さんは相談にみえた方にこういいました。

「わかった、そんなにいうならあんたがやめたらいい!」

これが田辺さんです。

私はこの田辺さんの気っ風に惚れこんで

「球根100個売って下さいっ!」と

失敗しても、このカンナだ!このカンナを植えよう!咲かせよう!

そう思いました! 田辺さんの咲かせる、須坂のSさんやHさんの世話するカンナを、雪にも強い善意のカンナを・・・・。

「なんで100個もいるの?」と田辺さん。

私は、そのとき、3年間して来たこと、広島のこと、原爆から1ヶ月で咲いたカンナのこと、すべて話しました。

「わかった、そんないいことしてるんだったら、遣るよ、いくつ欲しい?いくらでも遣るよ!」

私が返事に困っていると


「1000個遣る!持って行きなさい!失敗したらいくらでもやる!とりあえず1000個持って行きなさい!」

水色の作業服の真っ黒な田辺さんがニコニコ笑っていました。

市の職員SさんとHさん(お二人ともに今ではカンナ大使です)も笑顔で頷いてらっしゃいます。

ここで100個でいいなんて言ったら女が廃る!?  エエイとばかりに

「はい、頂きます!ありがとうございます」頭をさげました。

‥が‥、その頭には、1000個の球根が重くのしかかっていたのでした。

カンナ街道ができたいきさつ

須坂のカンナ街道は、フラワーフェスティバルに向けてのひとつの取り組みだったそうです。

フラワーフェスティバルに向けて須坂市が取り組んだカンナ街道。

その主役はヘブンブルーという朝顔とカンナです。

須坂インターを降りたところから国道403号線に、ずっと咲いているのはカンナです。

フェンスが要らないからどこにでも植えられます。

初めはヘブンブルーだったそうです。これも田辺さんの種撒きです。

蔓を伝って咲く青い朝顔はとても可憐で涼しげです。

今回のお葬式でわかったことがたくさんありました。


市の職員で定年されていた方が、嘱託でフラワーフェスティバルに関わることになったのです。O さんです。(現在カンナ大使)

Oさんは花の知識もなく大変な役を仰せ遣ったものだとおもわれたそうです。

ある日、緑豊かな葉をつけて真っ赤に咲いている花に出あいました。

とてもインパクトのある花で目立ちます。

足元に目をやると、雑草がありません。大きな葉で覆われた土には雑草が生えにくい環境をつくっていたのです。

『こりゃあ、雑草抜く手間が省けるいい花だ!フェスティバルに咲かせられないだろうか』

しかし、その花の名前も知りません。

そこでOさんは園芸家の田辺さんを訪ねたそうです。

『なんという花か?』
『カンナだ!』

のような会話があったのでしょう。

『カンナだったら今、たくさん球根があるから植えてみるか!』

みたいな話しの展開だったようです。(お葬式の席で伺いました)

ちょうどその頃、ある老人クラブが破綻しそうになっていました。
そこにはたくさんのカンナの球根がありました。
田辺さんはその球根を買い取ってあげることで、その老人クラブの存続の危機を救ったのです。(この話は2007年に聞いていました)

そこへOさんがやって来て、「あの花なんや」ということになったのです。

田辺さんはカンナの球根を市に提供し、田辺さんの知恵と知識も惜しまず提供し、カンナを植えました。
市の職員も、町の人たちも、学校の生徒たちも‥‥、そしてあの老人クラブの皆さんも‥‥。皆で、その地域の範囲の街道のカンナを世話なさったそうです。

花は見事に咲いたそうです。

問題は越冬でした。

東京など雪のない地域では、カンナは植えっぱなしです。 とても生命力の強い花ですから、特に世話をしなくても、春には新芽が出て、葉が伸び、夏には花を咲かせます。

我が家の庭の片隅のカンナたちも、毎年自然に冬を越し、春には葉が繁り元気な花を後から後から咲かせてて楽しませてくれます。

この家に越して来て30年、取り立てて水をやったこともないのに、自然の雨の恵みだけで元気に咲くのです。

しかし、雪の深い須坂ではそうはいきません。

11月に球根を掘り起こし、室に保管しなくてはなりません。

初めは市役所の地下の倉庫に保管したそうです。

ここには問題が生じました。『乾燥』です。

カンナの球根を越冬させるには、

適度な湿り気
適度な温度
風通し

これが必要なのです。

3年がかりの試行錯誤の末、見事に越冬に成功しました。 皆さんどんなにうれしかったことでしょう!

私も室に生けて保管する日に立ち会いましたが、 ショベルカーや リフトカーなど大きな機械を使い、広大な土地に大掛かりな穴を堀り、空間をつくり、籾殻をかけて保管するのです。
とてもここには書き切れません。

大体の様子をイメージしていただけたらと思います。
とにかく広いところでの大変な作業です。

こんなふうにして、何度も失敗して、3年かけて越冬に成功したのです!

世界中からお客様のみえるフラワーフェスティバルは大成功だったことは言うまでもないことです!

話しを伺い、私もうれしくなりました。 田辺さんが老人クラブの危機を救った善意あふれる球根。

失敗も恐れず取り組む須坂の皆さんの逞しさ。

ひとつのことをなしとげようと助け合う気持ち‥‥
私は須坂の人たちが素敵に見えてきました。

しかし、どこにも問題はつきものです。

こんな須坂の人たちの中にもいろいろな人がいらっしゃるものです‥‥

田辺さんはこんなことも話して下さいました。

「ボランティアってのは難しいんだよ。こんなことがあってね‥‥‥‥俺は言ってやったんだよ」

『ボランティア』‥というのは自主的に参加するもの。無償だろうが無償でなかろうが、自分が、この事は大事なことだ、なんとかしなくてはならないなあと思って取り組むものです。 人に強制されてするものではありません。

自分から発する行為です。しかしそれが、何らかの形で、誰かのために地域のために、社会のために、なにかしらの影響を与えられるものに対して呼ぶ名前だと私は思うのです。

従って、出来る範囲で出来る人がやっていくものだと思います。

しかし、組織になるとどうしても強制力や、不公平感や規則や規約にばかり縛られてきます。

立場に上下関係が出てしまったり‥‥。本来のボランタリの意味がうすれてくるのも否めません。

永遠の課題です。

だから私はカンナの組織を作らず、一人一人の自覚と意識と行動に期待して『カンナ大使』をつくりました(いつか詳しくお話しいたします)

ここ須坂でも、広範囲に渡って咲くカンナ街道。たくさんのボランティアの方が支えています。

いろいろな人がいらっしゃいますでしょう‥‥いろいろなことを感じるでしょう‥‥
なかには口に出しておっしゃる方もでてくるでしょう‥‥

人の中傷、陰口、不満‥‥ひとたび言い出したら際限がありません。

対処にも困ります。

ここ須坂も例外なくこんなことがあったそうです。

2010年10月 5日 (火)

一通のメールから→カンナ街道へ

皆さんはカンナの花をご存じですか?

意外にも、カンナという花を知らないという人がとても多いのです。

私が子どもの頃はカンナはあちらこちらに咲いていました。

ガーデニングで育てるというより、雑草のごとく逞しく咲くというイメージの花です。

原産地はインドです。仏陀の伝説のある花です。(いずれ、お話します)

2007年、広島でカンナを咲かせようと考えたのは、知人が仏舎利塔を一人で建てられたということからでした。

仏舎利塔に釈迦の生誕から入滅までの12枚のレリーフをはめ込んだら出来上がりという状態のところに案内されました。

まばゆいほどに輝く真っ白な仏舎利塔。私の目には、この周りに真っ赤なカンナが咲いている映像が見えました。

「この周りにカンナを咲かせませんか?」

「私もこの周りに何か花を植えようと思っていたのです!」

たちまち決まりました。ぐるりと巡らせて100株ほどでしょうか?

問題は、ここは美土里という地名の高台。冬は雪が降ると言うのです。

雪の対策をどうするか、雪に強いカンナがあるのか‥‥東京に戻り、 インターネットでカンナについて調べていると‥‥

長野県上田の友人M さん(今はカンナ大使)からメールが入りました。

「凛保さん~元気ですか~、長野県の須坂市にカンナ街道がさいてるよ!」

たったこれだけのメールです。

びっくりしました。カンナを植えることも、雪に強いカンナをさがしていることも、まだだれにも話してなかったのです‥‥。

私はすぐに、須坂市にお電話致しました。見に行きたいのですが場所を教えてくださいと。

当日、市の職員お二人が須坂の駅に迎えに来て下さいました。ご挨拶を交わし案内に従って駅を降りて行くと、乗用車が 停まっていました。

Sさんと Hさんが車でカンナ街道に案内して下さるというのです。

「お忙しい中申し訳ございません。場所を教えていただけましたら、自力で行ってみますから」と申し上げたのに、

「カンナ街道は市のあちらこちらにあるので、車でないとまわれませんからご案内いたします。」と笑顔で言って下さいました。

須坂市にとってなんの得にもならない見学者なのに、親切に案内をして下さいました。

なるほど、案内の車がないと無理なほど、市の至るところにカンナ街道はありました。

真っ赤に咲くカンナの道、それは見事でした。

市の給水車が水やりに走り、地域のボランティアの人たちも水をやり、枯れた花を取り除き、みんなで育てています。

最後に、園芸店の田辺さんを訪ねました。

カンナの火付け役だそうです。

居るかな‥‥という感じで立ち寄った田辺さんの仕事場(通称ハウス)。

田辺さんはいらっしゃいました。水色の作業着に真っ黒なお顔、白い歯を見せて迎えて下さいました。

田辺さんはコーヒーが大好きだそうです。 一緒にコーヒーを飲みながら、カンナ街道のいきさつを話して下さいました。

これが、田辺さんとの出会いでした。

2007年8月の下旬のことでした。

まだまだ暑い夏の午後でした。

2010年10月 4日 (月)

広島カンナ大使Tさん2010.10.3 19:50

Saniku01
橘さん、元気ですか?

今日、三育小学校の参観日でした!カンナの花がきれいに咲いてます!

田辺さんに届きますように〜

.

不思議なご縁はカンナへと‥‥

おかげさまで、弘法大師生誕まつりも見ることができました。

長谷寺に行く予定でしたが、父が疲れていたため断念して帰りました。

長谷寺へは数年後に導かれることになるのですが‥‥。

それからは不思議なご縁に導かれて今日まできたように思います。

その年(2003年)は、戦後直後の沖縄を描いた『十五夜の茶屋』(京マチ子、マーロン・ブロンド主演の古い映画)のロスの劇団の公演に沖縄の人の役で出演。

英語の台本で、アメリカの役者さんたちと、ロスとハンディントンの2ヶ所で舞台を勤めさせていただき、貴重な経験となりました。

帰国後、東京では浄瑠璃『心中天網島』の舞台に出演。

翌2004年、ノースハリウッド演劇祭に出演。『心中天網島』で小春、治平など八役の演じ分けを勤めさせていただきました。

その『心中天網島』の日本での地方公演(山口、富山、金沢、大阪、神戸)の途中で広島に立ち寄り、カンナに出あうことになるのです‥。

その翌年(2005年)8月創作浄瑠璃『広島に咲いた希望の花カンナ』発表。

2005年12月、城崎温泉物語を依頼され取材が始まる。

2007年、温泉寺の十一面観音の由来をさがしている時に、偶然、新聞を開いたら、名古屋で『お絵解き』(浄瑠璃と深い関係あり)を復活させる活動をなさっているご住職の記事に出あい、名古屋へ行くことになり、行きたかった奈良の長谷寺におもいがけず行くことができたのでした。

しかも、驚いたことには、探していた温泉寺の十一面観音の由来の巻物が、その時、長谷寺特別企画展期間中で見ることができたのです。

そして、今日の真言宗の葬儀・・・・・。

導師さまのお話は、私を、長谷寺へ、高野山へといざなったのでした。

何故、私は田辺さんとであったのでしょうか・・・?

出会いは、上田の友人の一通のメールから始まりました。

..

回想‥‥2003年6月 高野山へ

2002年12月、『ミュージカルー平家物語2002』の舞台に出演しました。平維盛を主人公にして展開される平家物語でした。

2003年、演劇の関係から取手の真言宗のご住職さまと知り合いました。

いろいろなお話しをして下さり、是非とも長谷寺や高野山をお参りするようにとおっしゃいました。

帰りに真言宗の冊子や資料をいただきました。

帰宅後、中を開けて見るとびっくり!封筒に2万円も入っていたのです。

「演劇をやるのは大変でしょうから役立てて下さい」みたいなことが書いてありました。

私はなぜお金をいただいたのかとためらいましたが、せっかくのご厚意故、大事に使わせて頂かなくてはと思いました。

いろいろ考えて、奈良の長谷寺へ行こうと、せっかくだから、真言宗の総本山、金剛峯寺=高野山に行こうと思いました。

維盛の舞台となった那智、熊野、龍神村にも行ってみたくなったからでした。

那智から熊野の山を越え高野山に抜けるルートは険しく、細い曲がりくねった山道が続きます。

山間いから、深い谷間から立ち込める霧?雲?‥なんと表現したら良いでしょうか、神秘そのもの、霊山というにふさわしいこの山に畏敬の念を抱きました。

親孝行にと父を連れだっての旅でしたが、話をするのも憚られるような空気の中‥、声もでないまま、ひたすら高野山に向かって走りました。

途中に維盛が籠った龍神村がありました。
維盛は、このようなところによく逃げられたと驚くばかりのところでした。

日も暮れてきて、早くここを抜けてしまわなければというような怖さもあり、また、いつまでもこの神秘の世界に抱かれていたいというような安堵感もあり、不思議な空間でした。

高野山に着いたのは夜も更けてからでした。

宿坊に泊まり、早朝は僧侶と一緒に読経をあげます。

思い立ったが吉日の無計画な旅でしたが、ちょうど翌日が、弘法大師さまのお誕生日という偶然に遭遇し、全国の真言宗のお寺からお坊さんたちが勢ぞろいしていらっしゃると言う日に、ここ、高野山にお参りすることになったのです。

2010年10月 3日 (日)

須坂の葬義に参列

10月1日午前8時、葬儀社の方からの説明に導かれ、死出の旅支度が始まりました。

大人になってからの記憶では、叔父が亡くなった時に、死出の旅支度の記憶がありますが、普段私どもが遭遇するのは、棺に納められたお姿でしかありません。

ただの数回しかお会いしていない、しかも、3年前に初めてお目にかかった方の死出の旅支度に立ち会うなんて、普通では考えられないことだと思います。 恐縮いたしました。

一番後ろで同席させていただきました。

まず始めに、ご子息様の手で、お守り札のような物を懐の襟元に少し端が見えるように入れます。次に、三途の川の渡し賃、六文銭の入った袋を首から掛けたように見立てて胸元へ置きます。旅の道中に、草木の蕀に傷付かないように脚絆、足袋、草鞋を足元に置きます。
まっ白なきょうかたびらを被せます。三角の布は頭にのせるとお顔が暗くなるので胸元へ。その上に、短剣を斜めに置き身支度はととのいます。
ここまでは親族のごく親しい人がなさいます。

故人の大事な物が棺に収められていきます。

千羽鶴が奥様の手で、田辺さんのお顔の右脇に収められました。

三育小学校の全校児童が素直な優しい心で、ひと折りひと折り祈りの込められた鶴が千羽、田辺さんを守るように置かれました。涙があふれました。

次に、お顔の周りから花が添えられ、棺は花で一杯になります。私も胸元に納めさせていただきました。

最後に真っ赤なカンナの花が添えらました。

真っ白な菊や百合の中に真っ赤なカンナが咲きました。
花を愛し、慈しみ、学び、人々に惜しみなく教えた田辺さん、お花畑の棺の中で気持ちよさそうにお昼寝をしているみたいでした。
読経が始まりました。

真言宗です。弘法大師さまです。

. Saniku090314

三育小学校6年生に講演 子供たちが全校に呼びかけて折った千羽鶴と絵本

.

9月30日通夜10月1日葬儀告別式

10月1日、田辺さんの葬儀告別式の日です。
午後1時からと聞きました。

お葬式は、地方によって違いがありますが、須坂も東京とはずいぶんしきたりが違うようです。

9月30日通夜。翌朝、親族や親しい人たちで故人の死出の旅支度をして、読経、焼香、出棺、荼毘にふすのだそうです。

そのあとに葬儀、告別式が行わるということでした。

午後1時の告別式に行ったのでは、田辺さんのお姿を拝することができないことがわかりました。

そして、私にはもうひとつどうしてもしなければならないことがあります。

それは、広島の三育小学校のみんなから預かった千羽鶴と絵本を田辺さんに届けることでした。

実は9月3日に預かっていたのです。

田辺さんをお見舞いして、直接お渡ししたいと思っていました。
直接お会いして、子どもたちの様子をお話ししたいと思ったからです。

10月3日日曜日に須坂にいく予定でした。

お電話するたびに、どんどん回復される田辺さんがまさか亡くなるなんて思ってもみなかったからです。
まだ油断は出来ない状態ではあったにもかかわらず‥‥。
考えて見れば、いくら大、大奇跡が起こったとは言え、余命1ヶ月と言われたのは、わずか4ヶ月前のことでした。
すっかり治ると安心しきってしまっていたのです。

郵送で送っていれば、田辺さんに読んでいただけたのに‥‥。三育小学校の子どもたちの思いを読んでいただけたのに‥‥。
誤った選択をしてしまいました。

三育小学校のみんな、ごめんなさい‥‥‥

私は、田辺さんのお姿のある内にどうしても、この絵本と千羽鶴を届けなくては、三育小学校のみんなに申し訳ない‥‥。

そんな思いでした。

29日、夕方に訃報を聞き、通夜と告別式の時間と、セレモニーセンターが須坂駅から歩いて10分ほどのところにあるという情報を聞きました。

そのまま呆然として夜中となり、慌ててカンナ大使の皆さまにメールをして、、翌朝は早くから仕事のため考えがまとまらないまま、仕事が終わり帰宅したのは夜の8時半を回っていました。

車でいくか?電車で行くか?
電車で始発で間に合うのだろうか‥。寝不足続きのこの頃、運転していけるだろうか‥‥
考えているようで、呆然としていりうちに夜も更けてしまいました。

あちらの様子もわからないまま、ご家族の方に電話するのも憚られ、市の職員の方の話を頼りに、車で行くことにしました。

いつしか時は夜中‥‥。こんな遅い時間に電話もできません。とりあえず須坂に早く行き、7時半くらいになれば、なんとか電話を許していただけるだろうと、朝3時半に出かけました。

夫がゴルフをキャンセルして行ってくれることになりったのです。

須坂には7時につきましたが、半まで待って市の職員さんにお電話をして、道案内を乞いました。

通夜もセレモニーセンターで行われたとばかり思い、駅近くで待機していました。

7時半のお電話で、通夜は自宅で執り行われたと知りました。急遽、今来た道をインターまで引き返し、ご自宅へ向かいます。喪主であるご子息さまの携帯番号を教えていただき、連絡を取りました。

朝の8時から儀式が執り行われ、9時には火葬場に着くことになっていると知りました。

ご自宅には8時5分に到着。田辺さんの奥様に初めてお目にかかりました。

田辺さんとだって今日をいれて5回しか会ってません。

2007年8月、市の職員さんたちと初めてカンナ街道を訪ねた日。
2007年11月、カンナ刈り取り球根を室に納める日。
2009年6月、里帰り球根をお持ちした日。
2010年5月28日、余命1ヶ月と宣告され病院にお見舞いした日。

そして、今日‥‥。

ご子息様はじめ、親族の方々、ご住職さま、皆さまが私の到着を待っていて下さいました。

お悔やみの言葉を口にしたとたんに、涙があふれ、言葉にならない中、なんとか三育小学校の皆さんの絵本と千羽鶴のことを伝え渡しました。

絵本も千羽鶴も田辺さんの枕元に置かれました。

待ち構えたように儀式は始まりました。

.   午前7時頃須坂着 インターでて右折国道403号線に咲く 広島里帰り平和カンナ街道 (橘写す)

Susakaf101001_0724011. Susakaa101001_072301. Susakab101001_072503. Susakac101001_072502. Susakad101001_072501

. Susakae101001_072601

2010年10月 2日 (土)

広島カンナ大使Dさま 2010.10.2.14:53

橘様

田辺さんの事を思うと悔やまれてなりません。

ご冥福をお祈りします。

橘さんとの事を思うと自分自身言葉が出てきませんでした。

広島での活動をどうするか話を聞いていた矢先の事で
ただただ残念でなりませんが、これからは志命を胸に進んでゆく事で、
又いつもの橘さんの元気な笑顔に会えるのを楽しみにしています。

.

皆さまからの田辺さんへのおくやみとお礼の気持ち

29日の夕方知った田辺さんの訃報。なにも考えられずぼんやりとしている内に夜中になってしまいました。


いけない、早く皆さまに知らせなくては‥‥と気付いたのは10時半を回ったころでした。

ただ、ただ、亡くなられたということを知らせるだけで精一杯でした。

アドレスの登録のあるカンナ大使の皆さまにメールをおくりました。

有難いことに、そのあと、メールを返信して下さったのです。

田辺さんへのお悔やみはもちろんですが、私への励ましまで下さいました。感謝いたします。

どんなに励まされたかしれません。

昨日須坂に行って、皆様からのお悔やみの気持ちを田辺さんには伝えました。

皆さまに断らずで申し訳ございませんが、イニシャル入りでブログにも掲載させて下さい。

田辺さん、こんなに皆さんが田辺さんのことを思っているのです。

長崎のカンナ大使Fさま2010.9.30.19:52

2010930_2
.
再びのメール

橘さん
悲しみの最中にも橘さんや田辺さんが咲かせたカンナの花は咲き続けるのですね。少しでも元気が出ればと思い、今年マリア様の像の横に咲いたカンナの写真を送ります。いつか橘さんに送ろう送ろうと思って、今になってしまいました。私にはこれくらいしかできませんが、祈り続けます。

.

新聞記者のカンナ大使Kさま2010.10.1 10:11

Kさまより再び

橘さま
ご自分を責めないでください。田辺さんも、橘さんがそう思われるのを決
して望んではいないと思います。

橘から
Kさんありがとう
私が27日にカンナやめようと思ってしまったからかもしれません。

Kさまから

メールありがとうございます。橘さんも、とてもおつらいことと思いま
す。ただ、田辺さんが残されたものは、橘さんや子供たちを通して、これ
からも続き、つながっていくのではないかと思います。田辺さんはそんな
種をまかれたのではないでしょうか。
ほんとうにメールありがとうございました。
>

横浜のカンナ大使Tさま2010.10.1 6:50

りほさん、おはようございます。
昨日は帰宅が深夜になり、改めてメールを見てただただびっくりしました。

まずは、田辺さんのご冥福をお祈り致します。

りほさんも、きっと気落ちされていらっしゃるでしょうね。

今日Oさんに会うのでちょっと聞いてみますが、Oさんがよく言ってたのは、
人間はこの世の修行が終わらなければ、簡単には死ねない。
だから亡くなる時はこの世の修行が明けた時

こんな話しをしてました。
田辺さんが余命宣告から奇跡の回復をされた事にも意味があったでしょうし、

今回は全てのお役目を終えられたので、天に帰られたのだと思います。

考えたら、私達が集まって田辺さんの話題をしていたのが28日ですから、その直後にお亡くなりになった事になりますよね。

これほど人の為に力を尽くした方なので、きっと天界の清い場所にお戻りになられているのだと思います。

カンナは永久に咲き続きますし、
私も早く財を築いて、カンナプロジェクトを応援できるよう頑張りますね。

伊勢でも一緒にご冥福をお祈りしましょう。

私もまだ驚いているので、乱文にて恐縮です縨

広島のカンナ大使Yさま2010.9.30  22:47

Yさまより再び

橘 先生
再度のメール有難う御座いました。

Yさん、メール下さりありがとうございます。
私が27日夜中疲れてカンナやめようと思ってしまったからかもしれません‥‥

浄土真宗の「ご文章」の中の一節です。
「私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、
人より後であろうが先であろうが、草木の根元に雫が滴るよりも、葉先の露が散るよ
りも多いといえます」
 (前後略す)と記されています。

 先生が、「27日夜中疲れてカンナやめようと思ってしまったからかもしれません」
と仰って居られますが。
カンナのご縁で、須坂の田辺さんとお気持ちが通じていらっしゃったのでしょ
う・・・・・。
                              田辺さんの遺業を
偲び、 合掌。
お身体ご自愛下さい。

鹿児島のカンナ大使Mさま2010.9.30 18:39

突然の訃報にみんな驚いています。
残念でなりません。
田辺さんにはまだまだこれからご活躍して頂きたいところでしたし、是非須坂を訪問してお会いしたいとも思っていました。
ただただ、お悔やみ申し上げるだけです。

広島のカンナ大使Tさま2010.9.29 23:47 2010.9.30 18:31

えっ、何とも言えないのですが?取り急ぎ、メールありがとうございます。大丈夫ですか?また、連絡しますね!気丈にいてくださいね!ほんとに。

(再び)
大丈夫ですか?みんなの想いは、繋がってます。

広島のカンナ大使Hさま2010.9.29 23:31 2010.9.30 18:22

急な事ですね。
カンナでいろいろな 繋がりができたので 寂しくなりますね。本当に急な事で言葉かありません。

(再び)

田辺さんが 亡くなられて 気落ちも しますね。

鎌倉のカンナ大使Wさま2010.9.30 15:22

本当ですか、驚きました・・・・
いまローマにいます
帰国したい、なにか手だてを考えたいですね

文京区のカンナ大使Oさま2010.9.30 11:01

須坂の田辺さんが亡くなられたとのこと、残念ですね。橘さんも大きな後ろ盾をなくされて大変でしょうが、田辺さんのお気持ちに報いるためにも一層頑張って頂きたいと思います。
御冥福をお祈りいたします。

長崎のカンナ大使Fさま2010.9.30 10:34

心からのお悔やみを申し上げます。田辺さんの永遠の安息のために、傍
らにカンナの花が真っ赤に咲いたマリア像の前でお祈りいたします。

長野報道Hさま2010.9.30 10:47

えっ!本当なのですか!?驚きました。

広島のカンナ大使Yさま2010.9.30 9:23

橘 先生

須坂の田辺さんが亡くなったとのこと、
カンナの球根を頂いた大恩人のご逝去、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
メール有難う御座いました。

目黒のカンナ大使Kさま2010.9.30 9:30

凜保さまにカンナの写真とお便りを出した日に、須坂の田辺様の訃報を受け、言葉もないほど驚いております。
目白庭園の催しの時奇跡が起こったと思いましたのに本当に残念です。
殊の外、凜保さまはお力落としの事とお察し申し上げます。カンナの原点を支えてくださった田辺様の労に心から感謝の意を表し、平和への願いを受け継いで行かねばと強く感じております。
諸事情により伺えませんが、田辺様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
須坂の方向に向かって合掌。

広島カンナ大使Fさま 2010.9.30 8:24

ご冥福を、お祈り申し上げます。 大切な方が、死去され、カンナに、込める、田辺さんの思いを、伝えて行きましょう。

香港のカンナ大使Kさま2010.9.29 23:58

こんばんは。メールを読みました…田辺さんの冥福を祈ります。 

大阪カンナ大使Aさま 2010.9.29 23:42

本当ですか。今はただご冥福をお祈りいたします。ご連絡ありがとうございました。

豊岡カンナ大使T様  2010.9.29 23:40

平和のバトンは確実に広がっています。悲しみや困難は、乗り越えられる人に与えられる課題だと思います。田辺さんの球根(魂)はここ小坂にも根付いています。田辺さんはご存知なくても、田辺さんの好意はここにも届いています。空の上から見守ってくださっていることを望んでいます。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »