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2011年2月

2011年2月28日 (月)

会津のカンナ大使Hさまから


会津のHさんから

会津は暲でした。明日も暲か雪です。でも春は近ずいています。東京は昨日春一番とのこで暑い 1日みたいでしたね
(中略)
昨日は 晴天だったので良かったです。
広島の松浦さん 残念で した 会津より 合掌 ご冥福お祈りします。

2011年2月27日 (日)

仕組みつくり

今日は広島からカンナ大使のT先生が東京に研修にいらっしゃいました

茨城でカンナをさかせてくださるかも

今日、2月25日、広島のカンナ大使Kさんが東京にいらしていると電話を下さいました。

夜8時頃になってようやく私からも連絡でき、銀座にいらっしゃことがわかりました。ある会に出ているとのこと、私も有楽町にいましたのでお会いすることになりました。


そこでであった若い方が、茨城県のご出身で、カンナの活動に賛同して下さり、茨城で植えられるように考えてみたいおっしゃったのです。

まだ具体的ではありませんが、若い人たちの間で広がってくれたらよいと思います。

カンナのバトンがつながりましように・・・・。

感動はどんなに大きくても、日がたつうちに薄れていきます。

賛同は感動とは違うことを祈ります・・・・。

Kさん、今日は出会いをありがとうございました。

Kさんはこれから東京が多くなりそうですね。ご活躍の場が増えますね。良かったです。

モンサンミッシェル、エリック市長と東京で!

モンサンミッシェル、エリック市長と東京で!
写真中央がエリック市長

2月14日、東京は久しぶりの大雪でした。

夜7時頃から降り始めた雪はあっという間に積もり一面の雪景色となりました。
あけて15日、雪晴れのまぶしい朝を迎えました。

今日は、広島からカンナ大使のAさんが夜行バスで東京に見えます。昨夜の雪の影響がなければよいと案じておりましたが、やはり、事故があったらしく渋滞で6時間遅れで到着されました。

Aさんの今日の目的は大好きなAUN J クラシックのライブを聴くことです。そしてまた、夜行バスで帰られます。

そのような強行スケジュールの中お会いすることがかないました。
いつも優しさの中に情熱を秘め輝いている女性です。彼女とは、モンサンミッシェルの姉妹都市一周年のセレモニーの旅で出会いました。

モンサンミッシェルの一周年イベントで招かれたAUN J を見るためにモンサンミッシェルにいらした方です。
不思議はまだあります。AUNのイベントの一連の企画の中で桜を植えたのですが、なんと私の植えたカンナのとなりに桜を植えることの仲立ちをしたのが彼女だったのです!

彼女は広島の方でした。すぐにカンナ大使になって下さいました。

広島でも何度もお会いしました。私の講演にも足を運んで下さいました。

今日は東京で会えたのです。お喋りをして私はまた仕事に向かいましたが…、ひょんなことから私もライブに途中から行くことになったのです。

Aさんのおかげさまで、モンサンミッシェルのメンバーに再会しました。

モンサンミッシェル、エリック市長にも再会できたのです!

そしてなによりうれしいのは、カンナの花がモンサンミッシェルで元気に咲いているということです!!

平和のバトンは世界への一歩を、子どもたちの夢と希望をつなぎました!

エリック市長ありがとうございます。

モンサンミッシェルの仲間の皆さんありがとうございます。

Aさんありがとうございました。

今日は思いがけない素敵な一日になりました!

天国のカンナ街道

天国ってあるのでしょうか?私にはよくはわかりませんが、なんだかあるような気がします。
きっと穏やかな美しいところなのでしょう!

昨年9月29日に球根を私に下さった須坂の田辺さん(享年65歳)が亡くなり、1月27日には、私の作品『広島に咲いた希望の花カンナ』の話のもとになった原爆の体験談を話して下さった広島の松浦さん(享年97歳)が亡くなりました。

橘のカンナの原点となるお二人が亡くなったことは、私にとってとても悲しいことです……。

力が抜けてしまいそうになりました。

でも、今はこんなふうに考えます。

田辺さんは須坂に見事にカンナ街道を作られ、橘と出会い、三年越しの苦労のカンナの球根を広島の子どもたちのために寄付して下さり使命をまっとうされて、天国に召され、天国でもカンナ街道を作っているのだと……

そこには、既に、65年前、瓦礫の焦土に咲くカンナの花を見て思わずシャッターを押さずにいられなかった松本栄一(2004年12月逝去)さんが待ってらして、一緒にカンナを咲かせて下さっています。

松浦さんが天国に着いて、「初めてお目にかかります」と三人で挨拶して、一緒にカンナを咲かせていて下さっていると……

天国だから一年中カンナは次から次へと花を咲かせています。

三人が天国から私たちを見ていて下さっているのだと……

そんなふうに感じます。

カンナを咲かせていると気持ちが元気になります。

心が強く優しくなります。
希望がみなぎりいきいきします。

顔が華やぎ輝いてきます。
勇気が湧いてきます。

めそめそなんてしていられないと 励まされます。

楽しくなります。

感謝の気持ちがあふれてきます。

私はこんなカンナを世界中の人の心に咲かせたいと思います!

今はその種まきをしているのだと……。

いつか私も天国で松本さんや田辺さんや松浦さんやたくさんのカンナ大使の皆さんと再会するのだと思います。

天国から地球を見て、世界中に咲くカンナを見られるように、もう少し頑張ろうと思います。

先日、スペインのご夫妻が球根を小学校で植えて下さると言って帰国されました。

素敵なご夫妻でした。

カンナが私を素敵な方々にひきあわせてくれるのです。

私はいつ天に召されても本望だと感じます。

後は、私がいなくなっても、カンナのことが伝わるような仕組み(志組み)を作れたらと思うのです。

2011年2月14日 (月)

松浦さんが亡くなりました

1月27日、松浦ふさ子さんが亡くなりました。 昨夜ご家族からお知らせいただきました。… 97歳でした(合掌)

1月25日に具合が悪くなり、27日入院先で検査しているうちに亡くなったそうです。ご家族も、信じられないほど早い最後だったとおっしゃってました……。
私も、この頃は、松浦さんは100歳までは生きると思いこんでいました。それくらいお元気でしたから…
お顔はつやつやして、お話しもはっきりと、身だしなみもいつもきれいになさってました。
三年前には転んで足を折るという災難もおありでしたが、リハビリも積極的になさり回復されました。その後再び転んだと伺いましたが、お元気になられ、気丈に凜とお過ごしだったのです。

広島に行く折りには必ず、松浦さんの通うデイケアセンターにご連絡して、時間さえ合えば必ずお目にかかっておりました。

にこやかに私のカンナの報告を聞いてくださり、目に涙を浮かべながら、手を握って、良かった良かったといつも喜んで下さいました。
「橘さんのおかげで、新聞に載って、テレビにまで出してもらって、本当に感謝してます」といつもおっしゃってました。

松浦ふさ子さんは、私が取材させていただいた、被曝者の方です。

語り部さんの話は本などで読ませていただきましたが、初めて、苦しい胸の内を話して下さる方がいらっしゃらないかと考えていた時にご紹介いただいた方が松浦ふさ子さんでした。

2005年、春のことでした。松浦さんの通うデイケアセンターの談話室にお邪魔して一時間ほどお話しを伺いました。
(この時のことは冊子に書いてありますのでご記憶だと存じます)
松浦さんのお話しを基に、カンナ浄瑠璃を書きました。それが、カンナを咲かせるきっかけになった『広島に咲いた希望の花カンナ』の誕生でした。

それから六年、親しくさせていただきました。
デイケアセンターで、毎年夏に演奏会をしました。
松浦さんが一般の会場にいらっしゃるのは大変だと思い、また、松浦さんのお仲間の皆さまや、看護師の皆さまにも聞いていただこうとおもいつき、カンナの講演と楽しい浄瑠璃とパフォーマンスを無償でさせて下さいとお願いしてご披露して参りました。皆さまにも喜んでいただけ、松浦さんにもを恩返しができたのではないかと思っています。
毎回広島に行った時にお会いして、お元気なお姿を拝見することは、私の励みでもありました。
松浦さんも喜んで下さいましたことが私にはなによりうれしいことでした。

その松浦さんが亡くなってしまったのです。

突然過ぎて信じられないです……

松浦さんもまた、天国から見守って下さっていると感じます。

天国で、田辺さんとお会いしましたか?

天国にも田辺さんがせっせとカンナを咲かせて、松浦さんも水やりと原爆の話で忙しい毎日になると思います

そうか!天国にもカンナ街道作って下さっているのだ!
今気づきました。そうですね。私が天国に行ったら、カンナ街道で迎えていただけるのかもしれません。そうですね。きっとそうですね……

今、電車の中でこのメールを打っているのに、涙が出てきて……

そうか……田辺さんが一番先に天国でカンナ街道作っててやるよ!松浦さんが原爆のこと話してるね!ということなんだと…


2011年2月 5日 (土)

世界中に日本から豆まき!『福は内!』

世界中に日本から豆まき!『福は内!』
室礼『節分・立春』photo 橘

2月3日、昨日は節分でした。豆まきはなさいましたか?「鬼は外、福は内」と東京は撒きますが、土地によっては「鬼は内、福は内」とも撒くようです。

しかしながら、大体鬼というのは悪者扱いですね。なんだか鬼もかわいそうです。

私は、なにか優しい鬼の話はないかと考え、『泣いた赤おに』の話を思い出しました。

六年前に、創作浄瑠璃を手がけていた時、節分にこの話を浄瑠璃に書き下ろしました。
『友(とも)情け泣いた赤おに物語り』です。

これは浜田広介さんの童話ですから、著作権の問題があり残念ながら発表する事はできないと思いました。
そんなある日、劇場で友人に会いました。

「最近は何をしているの?」と聞かれ、「創作浄瑠璃なるものを作っています。土地に伝わる昔話や民話で、しだいに語られなくなっている話を浄瑠璃に書き下ろしているの」と話しました。
「ちょうど、泣いた赤おにを書いたのだけれども、著作権があるから発表できないけど(笑)」と私。
すると、「泣いた赤おにって誰の著作だっけ?」と「浜田広介さんです」「だよねっ!僕、浜田広介さんのお孫さんと友達だよ。紹介するよ!」と…。
それから間もなく、2月の終わり頃だったでしょうか…浜田広介さんのお孫さんWさんにお引き合わせ下さいました

新宿中村屋でカレーをいただきながら閉店になるまで語り合いました。Wさんと私はとても気があって、5月には一緒に広介さんの故郷、山形に取材の旅に出掛けることになりました。

初夏の山形は緑が美しかったのを今でもはっきりと覚えています。
Wさんは山形には何年も行っていないということで久しぶりに、彼女のおじ様との再会もはたされました。
私は、手紙のやりとりだけだった山形の語り部のまこちゃんにも会うことができ、山形の民話の旅を満喫いたしました。

少し前に東京で出会った不思議なご縁の三人の女性も加わり賑やかな旅となりました。

浜田広介館に訪れ、館長さんたちにもお目にかかり、現在103歳の元館長さんにもお目にかかりました。 浜田広介さんの生まれ育った風土が感じられる暖かいおもてなしをいただきました。
そして、あらためて、夏の山形を背景にした『泣いた赤おに』を書き下ろしました。

著作権者である広介さんのお嬢さま、すなわちWさんのおば様にあたるRさまにもお引き合わせいただき、浄瑠璃の作品を聞いていただきました。

「父の作品が浄瑠璃という形で語られるのはうれしい」と発表を許していただきました。

このRさまとは、年に一度は歌舞伎かお能にご案内して一緒に観劇しています。

Rさまは、「父は殴るという表現はしない、そういう人でした。しかし、皆さん、赤おにが青おにを殴ったと書くので困っています。」とおっしゃっていました。

「広介全集」でさえ「殴った」と書いてありましたから、私もやはり殴ったと書いておりました。
広介さんご自身以上にお父上さまの思いを大切になさっているのが伝わって来ました。

私はさっそく「柱に額をうちつけた」と書き直しました。

著作権者の意図は大切にしなくてはならないと、同じく、ものを書く人間として感じ入るものがあります。

こんなエピソードがあってできた作品が『友情泣赤物語』でした。2005年夏に山形の高畠、浜田広介館で発表しました。開場には、近隣の小学校の子どもたちがたくさん来てくれて、広介館のホールはいっぱいになりました。

数年前から、素浄瑠璃の会、女性義太夫の会で、新しい義太夫の伝え方として語られています。

昨年、11月には、川越と須坂で、語り橘凜保、三味線、野澤松也で演奏会があり、『赤おに』を語りました。

さて、今日は立春。東京はとても暖かい一日でした。一陽来復、転じて『一陽来福』

写真は授業の教室での室礼です。

節分の豆と、パステルカラーのマカロンです。

季節の変わり目は邪気を払うための行事が催されます。
冬から春への祓いの行事が節分です。柊に鰯の頭をあしらった物を軒先に備えます。大豆を煎り、撒いた豆を拾い、年の数よりひとつ多くいただきます。

教室では豆撒きは致しませんが、室礼をして、心も軽やかに春を感じていただきます。

そろそろ、土の中でカンナの球根も大きくなって、春の訪れを待っていると思います。
今年も、カンナの株分けを皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

今年はカンナ大使の皆さまが、次のバトン先を選んで平和のリレーをして下さいましたらうれしいです。

世界中に日本から『福は内!』

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