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2011年6月

2011年6月30日 (木)

・・・ 初めての苦悩

初めての苦悩です。 とても大事な苦悩です。

違いが戦いを生み出しました。 宗教、人種、国・・・・
違いを認めあって共に生きること、これが平和です。

認めてゆるすことが「恕」です。私の座右の銘はこの「恕」です。
しかし、もうひとつの座右の銘は「和敬清寂」です。和敬=和して流れず、敬してへつらわず です。

やはり、流れないようにバトンは赤いカンナです。ごめんなさいjulieさん、わかっていただけますね。きっと、
Julieさんの育てた心のカンナ、架け橋のカンナです。こんなにだいじなものはありません。
ただたんに違う球根をきづかずに育てただけです。育ててくださった気持は同じです。

この黄色のカンナに名前をつけたい!

名前をつける、少し考える時間をください。Julieさんほんとうにありがとうございます。大切に大切に育ててくださりさかせてくださいました。日本と香港の架け橋です。名前をつけましょう!

広島の土を吸い、広島の子どもたちが育てた球根の株分け植栽、平和と希望のリレーには赤をこだわらせてください。

今後も、このことはとても大事なことになると思います。「和敬清寂」平和の「和」違いを認識した上での調和のとれた状態。 仲の良い関係 。そんな関係が平和につながると思います。


難しい問題です。この4〜5日ずっと考えています。悩んでいます。苦悩です。

橘、初めての苦悩

精道小学校と、戸坂小学校もメッセージを書いてくださいましあた。そのメッセージはのちほどのせることにさせて下さい
昨日、カンナの研究の第一人者田中先生からお返事を頂きました。
やはり香港の球根は、他の球根でした・・・・・・
キャシーに伝えなくてはなりません。花はすべて素晴らしいです。どの花も大切です。
Julieさんがたいせつに大切にそだててくれたのです。
平和は、国境も宗教も、人種も超えて築かれるものです。カンナはその象徴です。黄色も仲間です
しかし、子どもたちは、カンナ大使として、正確に伝えるコトを誓っています。
これだけは伝えて行こうというキーワードがあります。大船渡小学校の子どもたちが元気な声でビデオでいっている言葉です。

「爆心地から820m、一ヶ月後、真っ赤なカンナ」

キャシー、Julieさん、どうしたらわかっていただけるでしょうか・・・・・・
キャシーはホームステイ先のいえにもカンナが咲いていると話してくれましたよね。
もしかしたら、その球根も送られたのではないでしょうか・・・・・
ごめんなさい。どうしても、このカンナのバトンは赤いなのです。
黄色いカンナも仲間です。しかしバトンは赤いカンナ・・・・・
いいじゃないかという人もいるでしょう・・・・しかし、松本栄一さんが66年前、瓦礫の焦土の中を、絶望感の中を、カメラマンとして、記者として、取材していたのです。絶望としか言いようのない景色の中で、どうしたわけだろう、足元に真っ赤なカンナが咲いている。真っ黒な大地に、真っ赤なカンナが・・・・。絶望しかなかったここに真っ赤なカンナが咲いていた。希望です!生きられるという希望を見出したのです。たくさんの人々の尊い赤い血潮を吸って・・・・咲いたのです。たくさんの人々のたくさんの命の、尊い命をもらって真っ赤に咲いたのです。

実は、カンナにはこんないいつたえもあります。悟りをひらいたブッダはいとこのデーバダッダに命を狙われます。ダーバダッダは自分がブッダにとってかわりたかったのです。しかし、ブッダはどんな仕掛けにものってきません。最後はついに大きな石をブッダめがけて落としました。石はブッダにはあたりませんでしたが、飛び散った破片が足に刺さり血がながれました、その血の流れたところから真っ赤なカンナが咲いた。という言い伝えです。

気持を伝えようと思います。キャシーに電話してみます。何か良い方法、平和の解決を考えます。

矢野小学校からの手紙その14

鶴巻小学校のみなさんへ

ぼくたちの矢野小学校は、今運動会の練習をがんばっています。その理由は、みなさんが感動してほしいからです。ですが、みなさんに直接見せることができないのでかわりにカンナの球根をわたします。
カンナは原子爆弾が落とされた一ヶ月後に咲いて、みんなを元気づけてくれた花です。ぼくたちも応援しているので、これからもいっしょにがんばりましょう。

六年 TI

矢野小学校からの手紙その13

鶴巻小学校の皆さんへ

はじめまして。僕は矢野小学校六年三組のNです。僕達は鶴巻小学校にカンナを送ります。カンナとは広島が戦争で原子爆弾を落とされてたったの一ヶ月で咲いた花です。カンナはフランスのモンサンミッツシェルという世界遺産にも咲かせています。広島がカンナで元気になったように鶴巻小学校のみなさんもカンナを咲かせて元気を出してください。

六年 KN

矢野小学校からの手紙その12

鶴巻小学校のみなさんへ

こんにちは。はじめまして。
私は、広島市の南東に位置する矢野小学校に通っている六年生です。今みなさんは、とても苦しんでいると思います。でも大丈夫です。広島には、原子爆弾が落とされました。けれども広島市の人々は緑いっぱいのとても美しい町に復興させてくれました。だから、みなさんの町もきっと復興します。日本人の力はとてつもなくすごいです。だから大丈夫です。
それと、私たち矢野小学校の六年生から、みなさんにカンナの花を送ります。このカンナはふつうのカンナではありません。特別なカンナなのです。
1945年八月六日原子爆弾が落とされました。なのに爆心地からおよそ870m(820m)のところに約一ヶ月で真っ赤なカンナが咲きました。今このカンナの子孫は世界中に広がっています。みなさんのところにとどくのもこの被爆したカンナの子孫です。矢野小学校のカンナと兄弟です。このカンナを育てて世界中に広げてください。
きっと、未來は明るいです。
ですから、未来へ希望を、持って明日へとつき進んでいってください。
ずっと希望を持ちつづけてください。

六年生 YO

矢野小学校からの手紙その11

鶴巻小学校のみなさんへ

こんにちは。私は広島市の南東にある矢野小学校の六年生です。
いまそちらは、とても大変ですよね。広島市も昔、原因はちがうけど、同じような被害を受けています。
私は、ぼ金をして、みなさんに協力できたら、と思います。
いっしょに送った球根ですが、それは、「カンナ」という花の球根です。赤い花がさきます。カンナの由来ですが、広島で、原爆があった一ヶ月後に爆心地から820mの所にカンナが咲いたそうです。
実はかんなは、フランスの世界遺産モンサンミッツシェルに咲いています。矢野小学校で育てたカンナの兄弟株です。送ったカンナも矢野小学校のカンナの兄弟株です。
たくさんお世話をして、赤いきれいな花を咲かせて下さい。そして、宮城県復興の旗印として下さい。

六年 MN

矢野小学校からの手紙その11

鶴巻小学校のみなさんへ

こんにちは。私は広島市の南東にある矢野小学校の六年生です。
いまそちらは、とても大変ですよね。広島市も昔、原因はちがうけど、同じような被害を受けています。
私は、ぼ金をして、みなさんに協力できたら、と思います。
いっしょに送った球根ですが、それは、「カンナ」という花の球根です。赤い花がさきます。カンナの由来ですが、広島で、原爆があった一ヶ月後に爆心地から820mの所にカンナが咲いたそうです。
実はかんなは、フランスの世界遺産モンサンミッツシェルに咲いています。矢野小学校で育てたカンナの兄弟株です。送ったカンナも矢野小学校のカンナの兄弟株です。
たくさんお世話をして、赤いきれいな花を咲かせて下さい。そして、宮城県復興の旗印として下さい。

六年 MN

矢野小学校からの手紙その10

鶴巻小学校のみなさんへ

こんにちは。私のいる矢野小学校は、自然の多い学校です。今私は、きき手を骨折しています。でもみなさんは、それ以上たいへん苦労してますよね。でも私達の学校で育ったカンナのきゅうこんを育ててたくさんの笑顔を咲かせて下さい!!

6年 YK

2011年6月29日 (水)

矢野小学校からの手紙その9

鶴巻小学校のみなさんへ

広島県の矢野小学校は広い校庭がある学校です。広島では、原爆がありました。でも、広島県の人々はげんきにすごしています。きっと、東北の人々も元気になれるとおもいます。私たちの学校で育てたカンナを送ります。大切に育ててください
元気になってくれたらうれしいです
矢野小学校6年MS

矢野小学校からの手紙その8

鶴巻小学校のみなさんへ

矢野小学校は広いグランドがあってみんなが遊べるくらいの楽しい学校です。カンナの花は広島に原ばくが落とされて最初に咲いた花です。わたしたちが育てたカンナの球根を送ります。がんばってきれいな花をさかせてください

6年 H・T

矢野小学校からの手紙その7

鶴巻小学校のみなさんへ

初めまして、ぼくは広島市の矢野小学校六年生です。
カンナは、広島に原爆がおとされて一ヶ月ほどで咲いた真っかな花です。当時の広島の人々を勇気つけたそうです。そのカンナの球根を送りました。ぜひ咲かせてください。どこかで会えたらいいですね。

六年 KK

矢野小学校からの手紙その6

鶴巻小学校のみなさんへ

はじめまして。ぼくは、広島市立矢野小学校のNYです。。今i,
ぼくたちは「カンナ」という花を育てています。この花は広島に原爆が落とされた後、初めてさき、町の人に元気を与えた花です。なのでこの学校から送るカンナで元気をづいていたたけたらうれしいです。

6年YN

矢野小学校からの手紙その5

鶴巻小学校のみな様へ

私たち矢野小学校には遊ぼう会があります。遊ぼうでは、一年生から六年生がグループになってドッジやおにごっこをしまず。楽しいし、他の学年の子となかよくなれます。

カンナという花は、広島に原爆が落ちてからたった一ヶ月で咲いた花です。カンナが咲いたことで広島は元気になれました。なので、鶴巻小学校でもカンナの花を咲かせて元気になってください。

6年 MU

矢野小学校からの手紙その4

鶴巻小学校のみなさんへ

私たちの矢野小学校は歴史があって郊外学習が多いです。そのおかげでマツダの工場のことが知れたり、新聞の作っている所が見れたりできました。今回送ったカンナの花は、広島に原爆が投下されて一ヶ月で
咲き、みんなに元気をくれました。なので鶴巻小学校のみなさんにも、元気をくれると思うので、元気をいっぱいもらってください。

6年NN

矢野小学校からの手紙その3

鶴巻小学校のみなさんへ
私たちの矢野小学校にはおもしり図書室があります。一万さつをこえる本があり読み聞かせや、本の整理をしてくれるので、とても利用しやすいです。今回送った花は、広島に原爆が落ちて一ヶ月でさいた希望をあたえてくれたカンナの花です。鶴巻小学校のみなさんもこのはなを見て元気になってほしいです。

6年 NT

矢野小学校からの手紙その2

鶴巻小学校のみなさんへ

矢野小は色々な行事があり、多くの人と関わりを持てることができる学校です。この地震で多くの方々が亡くなられたように、私たちが住んでいる広島も原爆によりたくさんの人々が亡くなりました。これからいろんなことがあると思いますが、みんなと協力して楽しく生活できるようにがんばって下さい。私たちの学校で育てたカンナの球根をおくります。
6年 MO

矢野小学校からの手紙その1

鶴巻小学校のみなさんへ

わたしたちの小学校は花がいっぱいあり緑があって気持ちがいいところです。ぜひ、くる機会があればきてみてください。
わたしたちがなぜカンナという花が届いているとおもいます花を送ったかというと、広島に原爆がおとされて、一ヶ月で咲いて被爆者のかたの心に希望がともされた花だからです。だからみなさんに送ります。カンナを育て希望を持ってください。
6年AN

矢野小学校からの手紙その1

鶴巻小学校のみなさんへ

わたしたちの小学校は花がいっぱいあり緑があって気持ちがいいところです。ぜひ、くる機会があればきてみてください。
わたしたちがなぜカンナという花が届いているとおもいます花を送ったかというと、広島に原爆がおとされて、一ヶ月で咲いて被爆者のかたの心に希望がともされた花だからです。だからみなさんに送ります。カンナを育て希望を持ってください。
6年Nさん

平良小学校のメッセージカード

6月21日・22日に写真あり

☆カンナの花は希望の花です。この希望の花を世界じゅうに咲かせて下さい。

広島県廿日市平良小学六年三組 Sさん

☆ぼくたちは、平良小学校でカンナの球根を掘り出しました。平和の花を世界中さにさかせてください。

広島県廿日市平良小学校6年生

☆平良小学校の育てたカンナの球根です。6年生がほりおこした球根です。きれいな花を咲かせてください。この球根をバトンのように次につなげてください。

広島県廿日市平良小学校6年生

☆私たちがいっしょうけんめいほったカンナの球根で世界中にバトンをつなげてください。よろしくお願いしまう。

広島県廿日市平良小学校6-3 Tさん

☆広島県廿日市平良小学校6年生がほりおこしたカンナの球根です。大事に育ててくださいね。

広島県廿日市平良小学校6年 Mさん

☆私達が住んでいる広島県平良小学校で育てたカンナの球根です。カンナは「平和の花」といわれています。大切に育ててくださいよろしくお願いします。

広島県廿日市平良小学校 Dさん

☆平良小学校で大切に育てたカンナの球根です。大切に育ててください。平和の願いを届けてください

広島県廿日市平良小学校6年 

☆カンナの球根を大切してください。そして、また、きれいな花を咲かせてください。

広島県廿日市平良小学校6年 

☆カンナの花をいっぱい咲かせて下さい

広島県廿日市平良小学校6年 

平良小学校のメッセージカード

平良小学校からもカンナに添えるメッセージを送ってくださいました。

送り先が決まらないときに書いてくれましたから、むずかしかったと思います。相手がわかって書くほうが気持ちがよりこめられますから、ごめんなさいね。相手の決まらないときに書いてくれてありがとう。パウチして素敵なメッセージカードになりましたね。

たくさんの学校に届けましたのでコピーしました。カラーではなくてごめんなさい。たくさんの学校だったので白黒です。ごめんなさい。でも、十分みなさんの温かさがつたわります。校長先生ありがとうございます。こんなときは、誰かが心を寄せてくれているということがわかることが大切ですね。気持を寄せてくださり素敵なカードにしてくださり感謝申し上げます。

9人のみなさん本当にありがとうございました!

安田小学校のみなさんありがとう!

みなさんからの手紙をコピーして送りました。また、球根を送るときに同封したいです。

パソコンのキーボードでは、文字から伝わる皆さんの気持ちや、書き方から伝わる気持ちの強さが表現できません。ごめんなさい。橘からと、ことばで表してみましたが、とても皆さんのきもちと同じようには伝わらないのが残念です。でも、現地にはカンナと一緒に手紙が届いています。校長先生から、「気持ちが伝わってきます。子供達は喜ぶと思います。ありがとうございます。」と直ぐにお礼の電話がありました。きっと読んでまた、お返事があると思います。

パソコンはリアルタイムで便利ですが、一人ひとり、鉛筆の濃さの違う手紙はいいなあと思います。

安田小学校の子どもたちの手紙その14

大船渡小学校の皆様へ

カンナの花届いたでしょうか?わたしは3月11日におこったこの地しんでたくさんの方々が亡くなられた事をしっています。だから、今だからこそ、明るい気持ちではげましあいこころがおれそうになってもきっと協力すればすぐそこに光が見えてくるはずです!わたしたちは、これぐらいの事しかできませんが、応援しています。いち早く復こうできますようにと願いつづけています!がんばってください!!安田小学校六年ー梅松本梨曇(まつもとりあん)

橘から

びっしり書かれた枠の外にもたくさん書いてくれています。光の字の周りにピカマーク

上方には日の丸の絵と 日本みんなでがんばろう!!応えんしています♪♪(大きな字)

右側 人生は大きなふりこです♪♪振り子の絵 左ーいいこと(未来)右ーいやなこと(今)

左側 わたしたちにはこんな事しかできないけど、元気になってもらったらうれしいです!!

下方 きっと明るい未来が待っている♪♪♪その日を待ちつづけましょう!!(大きな字)

紙一面に工夫して書いてくれています。

伝わるでしょうか・・・

安田小学校の子どもたちの手紙その13

こんにちは。私は安田小学校の6年生です。今回の地しんで毎日大変な思いをしていると思います。私達はなにか力になりたくて、カンナの花を送りました。

8月6日広島に原爆が投下され、植物は生えないといわれてきました。しかし、かんなは、1番に花がさきました。カンナは復興の印です。広島からも応援しています。

滝浪 水緒(たきなみ みお)

橘から

名前にふり仮名を付けてくれました。

あて先を限定していないので、石巻、仙台、大船渡に送りました

安田小学校の子どもたちの手紙その12

大船渡小学校のみなさんへ

はじめまして。カンナは無事に届きましたでしょうか?ニュースなどでそちらはとても大変だと聞きました。でも大船渡小学校のみなさんが笑っている写真を見て、安心しました。

カンナで私達と一緒に笑顔をもっと咲かせましょう。悲しい事つらい事などをカンナは笑顔に変えてくれます。私達ができる事は少ないかもしれません。けれどもきっと思いが届くとと祈り信じております。

安田小学校 6年 梅組 酒井 愉未 (ゆみ)より

橘から

酒井愉未さんは、5月に校長室で私からの東北の話を聞いてくれた子供の一人です。

児童会の会長さんです。水仙の話しにも感動してくれた子です。

安田小学校の子どもたちの手紙その11

大船渡小学校のみなさんへ

こんかいは三月十一日に東日本大しん災がありました。私たちが住んでいる広島も原爆がありました。

私たち広島も色々な事がありました。何度も努力すれば」、がんばれます!

これから、大船渡小学校のみなさんも、みんなで”絆”を深めて、がんばってほしいと思います。

ガンバレ!!大船渡小学校

   山崎 えりか

橘から

きれいな字で読みやすく行替えがしてあります。ここで打つとバラバラになっつてしまいます。ごめんね

安田小学校の子どもたちの手紙その10

大船渡小学校のみなさまへ

このたびの東日本大震災で被災されたみなさまにお見舞い申し上げます。
このたびの大震災大変でしたね。でもみんなで力を合わせれば、きっと、今のこの状態を乗りこえらると私は思います。
私たちも、広島から応援しています。いっしょにこの状態を乗りこえていきましょう。いままでのような、明るい日々が戻ってくることを願っています。

H23 6月18日

安田小学校6年 梅木礼奈

橘から

とても丁寧にかいてくれています

安田小学校の子どもたちの手紙その9

大船渡小学校の皆さんへ

日に日に暑さがましています。皆さんはお元気にすごしていますか?
この度の震災のことはニュースや新聞で見ています。そこで、僕ら安田小学校は、原爆にも負けなかったとても生命力のあるカンナをおくりました。もし悲しい事があったら、ぜひカンナを見て下さい。皆さんがカンナを見て元気になってくれることを願っています。また、良かったら皆さんやカンナのことを知らせて下さい。良い知らせを待っています。

安田小学校児童会副会長 芹川雄太

橘から

この芹川くんは、5月に校長室で今後の取り組みをお願いした児童会の副会長です。前のブログに写真があります。熱心に今回の東北支援を考えてくれています。私の東北でのようすの報告を直接聞いた子どものひとりです。水仙のことにも感動してくれました。

二日後水仙を持って再び学校を訪れると、走りよってきてくれる元気で人懐こい男の子です。

安田小学校の子どもたちの手紙その8

大船渡小学校のみなさん

安田小学校に笑顔の写真を届けてくれてありがとうございます。カンナの球根が
大船渡小学校届いてよかったなあと思いました。悲しいこともたくさんあるかもしれないけど、安田小学校はみなさんをずっと応援してます!!!
皆さんも前を向いて進んで下さい。 写真の素敵な笑顔をず〜と持ち続けてください。

6年生  田中あみ

橘から

絵がかいてあったり、前を向いてのところを太くしたり・・・元気付ける工夫がしてあります。

文字だけしか打てないでごめんなさい

安田小学校六年の子どもたちの手紙その7

大船渡小学校の皆さんへ

皆さんは「カンナ」を知っていますか?「カンナ」は、花言葉で「平和」を意味します。
私たち安田小学校で一生けん命に育てたカンナ。石巻市や大船渡小学校で育ててあげてください。
私たちは自分たちにできることを精一杯に全力でしているので災害で大変だけども、がんばってください。この手紙で、少しでも元気がついたら、とてもうれしいです。おたがい、がんばっていきましょう。

安田小学校六年生 重田結里より

橘から

きれいで読みやすい字で書いてくれています

安田小学校六年の子どもたちの手紙その6

大船渡小学校の皆様へ三月十一日あの東日本大震災がありましたね。ぼくが学校から帰ってくると、ちょうどテレビで
津波を映していました。。大船渡市のえいぞうも見ました。
壊滅的な被害があったでしょうし、まだあると思います。あの時の絶望はもう忘れて、未來の復興へ向けて頑張りましょう。
三か月がたちました。元気を出そう!未來はある!遠い広島から応援のメッセージを届けます。カンナで平和を守り続けましょう!

安田学園安田小学校図書委員長 六年桜組  松井詠郎朗

橘から

やさしい字で枠いっぱいに書いてくれています  

安田小学校の子どもたちの手紙その5

大船渡小学校の皆さんへ

大船渡小学校の皆さん、お元気ですか?この三月十一日におこった東日本大震災のために、心の傷がいえていない人もいると思います。けれど、絶対にあきらめないでください!!日本中の皆、精一杯頑張っています。私も被災地のひとが一日でも早く立ちなおってくれることをいのります。
広島では"カンナ”が平和の象ちょうとされています。このカンナは原爆にも負けない強〜い花です。大船渡小学校の皆さんも、カンナより強い心を持ってください。被災地の復興を心からの笑顔になることを願って。

安田小学校六年   原こころ

橘から

枠いっぱいにかいてくれています。力強くきれいな字です。

安田小学校の子どもたちの手紙その4

〜大船渡小学校のみなさま〜

東日本大震災にあわれて、すごくおつらいかと思います。しかし、そのつらさをバネにして一歩ずつ進んでいきましょう。上の人(菅総理とか)が何と言おうと、未来の日本を動かすのは私たちなのです。ところで、みなさんのもとに「カンナ」という花が届いていると思います。このカンナの花は平和の主張(象徴の間違いかな?)とも呼ばれ、みりょく的な花です。この花を見ながら、前を向いて、共に〈今〉というじかんをすごしていきましょう。

安田学園安田小学校6年  河野清風  こうの さやか

橘から

自分の名前が読みにくいときちんとふり仮名をつけてくれました。きれいな字でかいてくれています

「復興の象徴は真っ赤なカンナと元気な子どもたちの声!ー大船渡小学校6月15日ー」

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「復興の象徴は真っ赤なカンナと元気な子どもたちの声!ー大船渡小学校6月15日ー」


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2011年6月28日 (火)

真っ赤なカンナの秘話   ありがとう!カンナ・プロジェクト香港チームの皆さんへ

キャシーお久しぶりです。ブログ読んで下さりうれしいです。つながっていますね。

私はフェイスブックを上手く使いこなしてはいないですが、拝見しています。

いつも大切にカンナを育てて下さっているのが伝わっています。嬉しく思っています。

香港にカンナ・プロジェクトの香港チームができたのですね。うれしいです。

ありがとうキャシー!

そして、今、Julyさんのカンナが咲いた知らせ見ました。

実は 言い難いことできょうしゅくで、迷ったのですが、つぼみが黄色っぽいのが気になります。

真っ赤なカンナのはずなんです……。大切に大切に育てて下さってやっと咲くという時に、とても言いにくいことなので、なかなか、言えないでいたのですが、やはりどうしても大事なことだから思い切って書きます。

カンナ・プロジェクトのカンナは真っ赤なカンナに意味があるのです……。冊子には書いたのですが、秘話を聞いて下さい。

今から66年前、原爆が投下された広島で、人々は原因もわからず、痛みと苦しみにのたうち回っていました。75年は草木も生えないと言われた絶望の瓦礫の焦土に、一ヶ月後、爆心地から820mのところに真 っ赤なカンナが咲いたのです!

生きられるんだ!生きるんだ!という希望と勇気をもらったと思います。

時は巡り、2004年、一人の女性がこのカンナに出あいました。私、橘です。 この一枚の写真に魅せられた私は創作浄瑠璃カンナの物語を書きました。白黒の写真は真っ赤なカンナと感じました。

しかし、本当は何色だったのかずっと気になっていました。

2006年、写真を撮った人を調べました。松本栄一さん。朝日新聞の記者でした。

住まいは東京の池袋近くです。しかし住所を訪ねると、そこは駐車場。

夕暮れの路地で途方にくれていると、犬の散歩の男性が、亡くなったと教えて下さいました。大家さんを教えて下さいました。 夕食時でしたが思い切って訪ねました。

2004年12月亡くなったと。記者さんだから忙しく飛び回る生活だったので、近所付き合いはなかったと。息子さんがいること。葬儀は息子さんがしたと。

あ~もっと早く探していたら、お話を聞かせて頂けたのに、真っ赤なカンナか確かめられたのに……。 カンナの物語とCDと冊子を見て頂きたかったと思いました。

「後悔先にたたず」この日から私のカンナの旅が始まりました。

息子さんを探しました。松本保さんとおっしゃいます。渋谷でお会いして、松本栄一さんの墓前に冊子とCD を手向けて頂きました。

保さんは、絶版になっている一冊の本を下さいました。

その本のたった一行、「真っ赤なカンナが咲いているのを見て安心した」とあったのです! (出展 母と子でみる原爆を撮った男たちP176 草の根出版会)

フィクションではなく、真っ赤なカンナだったのです。 瓦礫に咲く真っ赤なカンナ  どんなに勇気と希望をくれたことでしょう…こだわるようですが、私はやはり真っ赤なカンナを希望と勇気、平和のバトンにする事に意味を感じるのです。

そのあと復興で球根は根こそぎ取り除かれなくなりました。人々の記憶からもきえました。

60年ののち橘が再び、人々の心にカンナの記憶を咲かせようと、カンナプロジェクトを展開しました。

花はみんな大切です。私たちに様々な「気」をくれます。私も黄色いカンナも大好きです。 かつての私の家の庭にも咲いていました。大好きな色です。だから言うのをためらったのですが……、 やはり赤なのです・・・・・。

もうひとつの秘話は須坂の田辺さんです。

広島にも雪が積もるところがあります。子供たちのと咲かせるのに失敗させてはかわいそうです。雪に強いカンナを探しました。

ある日友人からメールが突然あり、須坂にカンナ街道があるよ。と。

真っ赤なカンナでした。老人クラブを救った球根でした。子供たちと植える球根にふさわしいです。田辺さんが橘の活動に感動し、無償で送って下さることになりました。

2010年9月田辺さんは亡くなりました……私は 田辺さんの善意を汲んで田辺さんから子供たちのの手がたくさん加わり育ててきた球根をバトンしたいのです。

カンナはたくさんの品種改良が施されています。しかし、カンナプロジェクトのカンナは真っ赤な田辺さんから頂いた球根をリレーしたいのです。

今、植物学者でカンナの研究の第一人者田中先生に問い合わせています。

とりあえず、成り行きをお知らせ致します。

以上キャシーに送ったメールです。

本当に皆さんのことはいつも大好きで香港や日本で会えるときはいつも会います。

カンナのことも大切にしてくださるのです。複雑な心境です。

先生のお返事をお知らせします。その花も大切です・・・・・

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CannaProject-Hong Kong Team の Julie Ng さんが大事に育てて綺麗に咲いたカンナです。しかし・・・・・

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2011年6月26日 (日)

同封された子どもからの手紙4月15日

 こんにちは、私は広島に住んでいる堀江眞子と言います。

 東日本大震災のことをテレビや新聞で毎日のように目にしています。その中で、私と同じくらいの小学生についての記事を二つ見つけました。一つ目は、配布されるわずかな食料を年下の子どもに分けてあげている子どもについての記事です。二つ目は、一人暮らしのお年寄りの家に、毎日、朝、昼、晩食べ物をとどけている小学生についての記事です。この二つを見てすごいなと思い、勇気がわいてきました。私も何かできることはないかと探して、ぼ金をしたり筆記用具を送ったり染ました。

 私の祖父が、「広島と同じじゃ。」と言いました。八月六日の原爆で広島は焼け野原になりました。木も建物もすべてなくなってしまいました。

でも、みんなが知恵を出し合って今の広島になりました。

 時間がかかるかもしれないけど、必ず町は復興します。みんなで一つになって乗りこえていきましょう

                                  6年 堀江眞子

橘から

堀江眞子さんとは、5月15日校長室で会いました。今回の東北にカンナの球根をリレーすることをお願いした時に、メッセージもできたら添えてくださいとお願いしました。

眞子さんはすぐに書いて校長先生に託してくれました。震災から1ヶ月のことです。

5月には、校長室で興味深く東北の報告を聞いてくれた一人です。水仙のことのも感動してくれました。

前後してしまいますが・・。安田小学校の4月の手紙です。

橘 凛保様

 日増しにあたたかくなり、咲き誇っていた桜も今日の涙雨でちってしまいそうです。

春休みに入り、橘さまから」のメールでご依頼のあった件(被爆地広島の子どもから東日本大震災で被害にあった子どもたちへのメッセージをお願いいたします)ですが、本校の6年生が簡単ですが、文章を書いてくれました。被爆地広島の子どもから東日本大震災で被害にあった子どもたちへのメッセージになるかどうかわかりませんが、とりあえず送らせていただきます。

 今、学校でも被災された方々に対して、我々に何が出来るか話し合いをしてもらっています。子どもたちの出来ることを、子どもたち自身が考え、行動に移して生きたいと考えています。安田小学校のリーダーシップは人のために役だつことであり、人のために尽くすことです。この機会に是非美菜でリーダーシップを発揮していきたいと思っています。

 橘様」もお忙しいこととは思いますが、お体に気をつけて。がんばって下さい

            安田学園安田小学校校長  山本勝也

安田小学校の子供たちの手紙その3

大船渡小学校のみなさんへ

お元気ですか!不自由だと思いますが、がんばって下さい。私たちは、ぼ金(ぼ金運動)・節電・えんぴつなどの寄ふ、手紙を書く・応えんすることができます。それ以外にも何かできるかもしれません。

私は、震災のために自分ができることを考え。実行して行きたいです。そして、少しでも早く東北のみなさんが元気になり、原発などで苦しまないようになってほしいです。

                  安田学園安田小学校 6年 西本絵美子

橘から

書きたいことがたくさんあるのだなあと伝わるくらいに、枠いっぱいに書いてくれています。

安田小学校の子供たちの手紙です。その2

~大船渡小学校の皆さんへ~

はじめまして。私は広島県広島市安田小学校6年梅組に通う真田理菜といいます。

この前安田小学校からカンナの球根が届き植えてあると思います。

このカンナは広島に原ばくが落ちて1番初めに咲いた花なんですよ!

このカンナで、顔は合わすことができないかもしれないけれど、みんなとこころの友になり絆を深めることができたらいいです。

                                    真田 理菜

橘から

小さい子も読めるようにと漢字すべてにふり仮名をつけてくれています。きれいな字で丁寧に書いてくれています

2011年6月25日 (土)

安田小学校子どもたちの手紙です。その1

石巻の小学校のみなさんへ
初めまして。広島の小学生です。東日本大震災で、とても大きな被害を受け大変だったと思います。というより、大変どころではないでしょう。ニュースでは、津波で何もかも流されていく様子を見て、とても驚き、目を疑いました。
そこで、みなさんに、原爆が落ちても枯れずに咲いていたカンナの球根をお送りします。このカンナを見て元気になってくれればとてもうれしいです!!

6年 小田玲奈

橘から

とても力強い筆跡できれいに丁寧に書いてくれています。

安田小学校からたくさん球根東北に送っていただきました。東北の子どもたちの写真を送ったらお返事です

帰宅後、写メールを送らせて頂きました。

6月16日メール  安田小学校Y校長先生から

添付写真をたくさん受け取りました。大船渡小学校の住所も確認しました。 この写真を見せたら、子供たちも手紙を書きたくなると思います。
ありがとうございました。手紙が集まった時点で、コピーを送らせていただきます。

6月20日 校長先生手紙

アジサイの透き通るような青さが目にしみます。

6月は東北のあちこちに行かれ、忙しい毎日を送っておられるようで、そのエネルギッシュな動きに関心をしています。

子どもたちに橘さんからの写真をみせたら、多くの子どもたちから励ましの手紙を書きたいという申し出がありました。

まだ提出していない者もいるので、とりあえず、私のところに出した子どもたちの手紙を郵送します。読んでやってください。子どもたちは自分たちが送ったカンナの球根が役に立っていることを知り、とても喜んでいます。

 今後もカンナの球根を育てることに情熱を燃やしてくれるとおもいます。今回のことは前公聴会でも是非話をしようと思っています。

橘さんから託された平和のバトンをしっかりつないで生きたいと思います。

 それでは、これから暑くなってまいりますので、お体ご自愛下さい。 

6月24日 橘

先生、子供たちのメッセージ拝受いたしました。ありがとうございます。子供たちの気持ちが伝わります。宛名のない一枚はどの学校にも送らせていただきます。宛名が石巻のは石巻のたくさんの学校に

送ります。ブログに子どもたちの文章をそのままのせてよろしいですか?名前は頭文字にしたほうがよろしいでしょうか?

6月24日 校長 

お世話になります。こどもたちの手紙はブログに載せていただいて結構です。名前も載せていただいて大丈夫です。子供たちも励みになると思います。

6月24日 橘

ありがとうございます。他の被災地の子供たちも見てくれたらよいですね。掲載します。

 6月25日更新前後してしまいましたがこのことが大切でしたので・・・・載せることにしました

福島のカンナ大使Hさんからメールです。


斝こんばんは 今日大船渡小学校校長 柏崎校長より ハガキとカンナを植え付けの写真が送られきました。ありがたいですね 感謝 感謝です斝斝

東北に一緒に行って頂いたカンナ大使Hさんからメールが届きました


今夜は月を愛でながら ゆっくり 休みます 良い体験旅行でした。 ありがとう ありがとう いま食事してます 橘さんの 素晴らしいもの いっぱい 見る事ができ 嬉しく 思います。
またの日を楽しみ! にしてます!

東北被災地カンナプロジェクト報告会のお知らせ

ニュース
カンナ大使のみなさま

いつも応援ありがとうございます。
急なことで申し訳ございませんが7月6日に広島行きがきまりました。
つきましては、この機会に橘の東北でのカンナリレーの報告会を下記、開催いたします。
急なことではありますが、万象お繰り合わせのうえご参加下さいませ。
お返事お待ち申しあげます。

会場:アステールブラザ(和室)
日時:7月6日(水) 夜 6:30~ 8:30

橘凜保カンナ・プロジェクト「東北被災地へのカンナリレー報告会」を開催いたします。

①行かなくては分からないこと
②被災地の小学校の子どもたち
③カンナリレー報告

など、みなさまの知りたいことに答えたいと思います。

出欠だけまずお知らせください。


アステールブラザ
‪広島市中区加古町4−17‬
‪082-244-8000‬


大きな地図で見る

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大船渡小学校校長先生からおはがきが届きました

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岩手大船渡小学校の校長先生が送って下さいました植栽の写真の絵はがきを頂きました。
毎日追われ礼を失しております。

心のこもったお手数に先生のお人柄を感じます。

ありがとうございます。


前略
この度は大船渡小学校にいらして、子どもたちとともに植えて頂きありがとうございました。
まずは、勇気と希望の真っ赤なカンナの花を咲かせ大船渡市内の被災した学校へ株を分けていきたいと思います。
本当にありがとうございました。 草々


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2011年6月24日 (金)

絵葉書にして 

思いも寄らない展開でした。校長先生、担任の先生、そして子供たち、ありがとうございました。植栽カンナの暖かいリレーをさせていただきました。 
帰宅してすぐに、校長先生から、植栽の写真を絵葉書にしてお手紙がとどきました。本当にすばらしい先生でした。 
早くお返事を書かなくてはと追われる毎日お許し下さい。 
この冊子もここまででタイムリミットです。今日は、東洋英和女学院大学で特別講演をさせていただきます。石巻のH先生のご依頼を繋がせていただきました。私まで講演させて下さるとのこと、皆様のお気持ちをありがたく思い、ペンをおきます。また続きを書きます。2011.6.23 

大船渡小学校

バイパスを走りトンネルを抜けると、大船渡です。陸前高田は平野から海に出る町です。大船渡は、浜は崖の下に
あるような海岸でした。北に向かい、右手に海ですが、浜にはすぐ下りられない立地です。
 ちょうどお昼時でしたが、山の中から、陸前高田と走り、食事の出来そうなところなどありません。ようやく土産やさんがありました。脇に海鮮食堂が見えたので、行ってみましたが、営業していません。土産やさんに入り食事の出来そうなところを訪ねました。ホテルが1件あるとのこと。少しでもと、海産物をたくさん購入しました。レジで支払うときに、「この辺はいかがでしたか?」と尋ねてみました。見たところでは、先ほどのような被害はなかったからです。
 「この先に、小学校があるのですが、海よりかなり高いところにあるため、皆、校庭に避難していました。津波が来るというので急いで階段を上がり助かりました。校舎は1階まで水につかりました。子供たちは全員無事でした。」
「それは何よりでした」
 ホテルまで戻り食事をしました。ホテルの部屋は避難の方と工事関係者の方々でいっぱいでした。
 とにかく、小学校を見に行ってみることにしました。大船渡小学校です。昼休みの平和な和やかな雰囲気でした。子供たちは校庭で、ドッジボールをしたり、サッカーをしたりして遊んでいました。
 約束も何もありませんが、思い切ってはいってみました。
Hさんには車で待っていただきます。いきなり球根持ってはいけないので、もし、植えられるようなら電話します。と言うことで校舎に向かいました。
 子供たちは礼儀正しく、見ず知らずの私に、「こんにちは!」と挨拶してくれます。それが、どの子もどの子もなのです。しかも笑顔で声が大きいのです。
その日も快晴の晴れ晴れとした天気でしたが、それに負けないさわやかな挨拶でした。たくさんの学校を回りましたが 
すばらしい挨拶の学校だと思います。
「校長室はどちらですか?」と尋ねると「こちらです。」と一人の男の子が案内してくれました。 その案内の仕方も、私を気遣いながら歩くのです。
「ありがとうございました。何年生ですか?」と聞くと確か5年生だったかと記憶しています。名前は○太郎君。このごろすぐに忘れてしまうので残念です。すばらしい案内でした。
勝手に入ってよいのだろうか・・・?近くにいらした方に「校長室はどちらですか?」と尋ねるとどうぞおあがり下さいと、あがってみると、皆様会う人会う人警戒することなく、「こんにちは」「こんにちは」と声をかけて下さる。こちらのほうが恐縮して、立ち止まり、「お約束はないのですが、校長先生はいらっしゃいますでしょうか・・・?」と申し上げると「こちらです、どうぞ」と、校長室に通される。
 
 都会ではありえない。まず門にセキュリティーつきのインターホンがあり中へは入れない。「どのようなご用件ですか?」と必ず聞かれる。
校長先生はすぐに私を招きいれて下さり、ソファーを勧められ、名刺を下さいました。たくさんの支援の方が見えるのだろうか・・・すぐに丁重なおもてなしを頂きました。正直いぶかしがられると思っていましたので、なんだか不思議でした。
 遠慮がちカンナのことをお話申し上げると、すぐに、「すばらしい申し出ありがとうございます。もう少し早く来ていただけたらお昼休みに皆で植えられたのに・・・残念です。」と、食事時だからとづらしたことは残念だったなあと思いました。ところが、校長先生は「ちょっとお待ち下さい」と、教務主任の先生に話されました。ちょうど昼休みを終えるチャイムが鳴りました。「30分後に手配しました。6年生のクラスで植えさせていただきます」すばらしい対応です。「これは意味を子供たちが知って植えることだから話もして下さいますか?」「はい、そうできましたら一番ありがたいです」「何か用意するものはありますか?」
DVDは見られますか?また、確認ですが、原爆のシーンの跡にカンナが咲く情景ですが、見せても大丈夫ですか?そのシーンの後はカンナを皆で育てている明るいニュースです。」「大丈夫です。パソコンルームがあります。パソコンで見せましょう!お願いします。」と、すぐに対応くださいました。「新聞記者も呼ぼう!」と、すぐに連絡して下さいました。植える場所、土、球根の数・・・・早い
対応に恐縮するばかりでした。こういう話はいい!とおっしゃり、長靴に履き替え土を用意しにいかれました。私はHさんに球根の用意をお願いし、校庭でスタンバイしていただきました。
パソコン室でお話をして、校庭へ移動しました。
Hさんと校長先生が校門入り口の一番目立つところにスコップを入れて置いて下さいました。球根は東北では、今まで塊で植えてきましたが、ここの子供たちの反応がとても意欲的でしたので、広島で分けるように、一つひとつに分けて数個足りなかったのですが、一人にひとつずつ植えていくことにしました。何だかとても活気があり、速やかに、それでいて植えることのありがたさを感じてくれながら、元気いっぱいに作業しました。あまりに元気がよく、行儀もよくのびのびとしているのでうれしくなりました。何の約束もしなかったのに、急に訪問下にもかかわらず、こんなに気持ちよく、スピーディーな行動力。岩手は大丈夫だと思わないではいられませんでした。
 担任の先生も、カリキュラム大変だと思います。被災でも遅れた授業数でしょう。ありがとうございます。最後は石で植えたところを囲み花壇の出来上がりです。後でプラカードを作ってくれます。
 「みんなは、カンナ大使です。カンナの話を伝えて、株を分けてあげて下さい」とお願いすると、校長先生も岩手のこの辺りは、この子達に任せてください。球根とどけます。話も伝ます。カンナ大使ですから!」といって下さいました。写真もたくさん撮ってくださいました。子供たちの「チーズ!はたいやき!」でした。とても元気な声を広島の子達に届けたくて動画を携帯でとりました。初めてです。うまく取れませんでしたがところどころ聞くことが出来、この学校の雰囲気がわかります。校長先生はほかに来客がありましたのに、丁寧にも、抜け出してきて下さり、写真と握手をして下さり、急ぎ挨拶をされて校長室へ向かわれました。担当の先生がお茶をすすめてくださいましたが、帰りの時間が読めず、新幹線に間に合わないといけないのでご辞退して一路東北道に向かいました。
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岩手にもカンナを

 中野栄小学校でもカンナが咲きます
5月鶴巻小学校に差し上げた球根は、中野栄小学校にも植えられました。改めて球根を持って校長先生にお目にかかりました。
こちらの学校は無事でしたが、中野小学校が間借りしているのです。一緒に植えて咲かせるのもいいねということになりました。いずれ授業で話もさせていただくことを伝えました。
 長崎精道、戸坂に加えて、安田、矢野、平良小学校の球根です。
 
 また、子供たちに会いにくることを約束して、東北道を目指して走りました。
東北道は、仙台駅の街中を過ぎてインターがありました。
海から1時間ほどへだてたところは、地震があったことさえ忘れてしまうほど賑わっていました。
 翌日は岩手へ行ってみます
 仙台まで南下したもののやはり岩手にも行きたいと思いました
「自分の目で見たものしか子供たちには話せませんね。」
 東北道を一関まで走ります。そこからは山を抜けて陸前高田です。山間の道を走っていると、地震の事など忘れてしまいそうです。のどかです。この季節は特に緑が目に鮮やかに写ります。
一転して・・・陸前高田町。
 山から坂をくだったカーブの眼下に見たのは、サンドベージュ色の大地でした。重機が片付け作業を展開していました。3ヶ月・・・。時が止まってしまったようです。重機を操作する人以外には人の姿もありません。機械は黙々と動いています。この景色には、どうしても絶望感がただようのです。また、テレビで見る風景は四角い枠に切り取られていますが、現実は違います。 写真に撮っても伝わらないと思いました。
 陸前高田・・・。南は気仙沼 北に少し行くと大船渡です。
3ヶ月経ってこの有様です。先月は・・・あの日は・・・と考えると、想像を絶します。
写真は後ろにあるに写っているのは線路です。線路ががくんと落ちているのがわかるでしょうか・・・・  
         

Photo
.他にももっと悲惨な写真がたくさんあります。この写真ではなかなか伝わりませんが・・・いずれアップするかもしれません
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車は急ぎ仙台へ・・・。岩手からまた遠ざかる・・・・でも・・・・・

 飯野川小に戻ると、広島から球根が届いていました。大州小学校と    小からです。石巻の小中学校で植えられます。
H先生のご尽力で球根を22日に教頭会で手渡される予定です。
ありがとうございます。どの学校にリレーされたか後で教えていただきます。本当にありがとうございました。また、石巻に参ります。
 車は仙台に向かいます。道はすいていて予定よりも早くつきました。お茶を頂きながら、思い切って福島のカンナ大使Hさんに相談しました。
岩手には前回も行かれなかった・・・・。福島へのリレーは赤湯温泉に植えました。宮城は石巻、仙台とカンナを届けることが出来ました。岩手だけ仲間はずれにしたくないです。岩手こそたいへんだと聞いています。岩手陸前高田に行きたいと思います。「そだな!いくか!」そういって下さいました。
お疲れではないですか?「だいじょうぶだ!いくべ!」
「孫と同じくらいの子供たちだ。孫は学校来ないでなんていうべ。
いい体験させてもらってるさ」そういってくださいます。ありがとうございます。子供たちを見ていると疲れは確かになくなります。
「予定を一日延ばして明日は岩手に行ってみましょう!」
現地のホテルはどこも満杯です。かなり手前のホテルがようやく取れるような状況です。
 そんな話をしているうちに鶴巻小学校の約束の時間です。車に乗り込んだとたんに嵐のような土砂降りです。「馬の背を分ける」と言う表現を始めて体験しました。これは晴れると思いました。土砂降りの植栽は無理ですから。5分ほどで学校に到着。
雨は上がり、ぎらぎらの太陽の出番です。
 先日はお目にかかれなかった校長先生が、今日はお迎えくださいました。地震当日は前任の学校だったとのこと。4月からの赴任だそうです。詳しくその日のことを話して下さいました。
校舎は無事でしたが、学区域が被害の大きかった辺りまでなの
       
で、避難所から通学している児童も多くいるのだそうです。「何か
触れてはいけないような言葉などはありませんか?」「原発のこ
とには触れないで下さい。」「承知しました」
 6年生の担任の先生も二人打ち合わせに来て下さいました。原爆から1ヶ月で花が咲いたことはすごいことだと、復興へのシンボルとして伝えてほしいと。45分授業の25分を話にあて、全員で花壇に移動して植栽しました。
 1ヶ月前の長崎精道小学校・戸坂小学校の球根は葉が少し出ていました。今日は、安田、己斐、矢野、平良小学校の株分けバトンです。みんな一生懸命、わいわい言いながら植えてくれました。先生方も泥んこになりながら一緒に植えてくださいました。土砂降りの短い雨のおかげで土はやわらかくなり、水分を含んで植栽には良い状態でした。スコップで掘ってくれる子、じょうろで何回も水を運んでくれる子、じりじりと焼けるような日差しとカンナ。子供たちの元気な声と惜しみなく働く様子に、必ずここも復興すると思いました。
 文字にすると軽いような、不謹慎な言葉に聞こえるかもしれないのですが、前に向いていると感じました。そして、自分たちのことばかりでなく、広島のことを気遣えるやさしい子供達です。
 私にこんなことを質問してくれました。「原爆のときは大変でしたか?怖かったですか?」と。私の年齢の計算が出来なかったのではないのです。大変だっただろうなと心から思ったからなのだと思いました。そんな優しい問いかけ方でした。「私はまだ生まれてなかったのよ」と話すと、「じゃあ、資料館を見たときは大変でしたか?」と真面目な顔できいてくる。「う~ん、怖い写真や、目を背けたくなるようなものもたくさんあって、胸が締め付けられるようだった・・・」と答えると『う~んそうなんだ』というようにうなずいた。
「この球根はどこから来たのですか?」「広島で咲いていたの」など話しかけてくれました。
 植栽の後、「ありがとうございます。皆さんはカンナ大使です」と伝え、カンナのことをお願いしました。咲かせてください。誰かに話してください。育ててくれる様子が目に浮かびます。
        

津波で校舎は・・・・。泥まみれの校旗

6月14日 雄勝中学校校長先生と橘の共通項 
 先月、道を教えていただいたご縁からカンナを植えた仙台鶴巻小学校にこのたびは、授業と植栽が予定されています。12時には石巻を発ちたいと思います。 
 雄勝中学校に是非行ってみてはいかがかと薦められ出かけました。飯野川からすぐの県立高校の校舎を間借りしているそうです。校舎は津波に飲まれ使えなくなったのです。 
泥まみれの校旗が見つかり、そのまま掲げてある。「あえて洗わないでおこうと思います。」と校長先生・・・。 
「生徒は奇跡的にも全員無事でした。一人もかけることが無かったということが一番です。」校長先生はおっしゃいました。                    
 間借りしている校長室の壁には、311日からのことが写真で綴られていました。311日は雄勝中学校の卒業式だったのです。晴れやかな顔の卒業の写真がありました。その後に、あの地震があり、津波で何もかも消えたのだそうです。 
 卒業式から帰った後、散り散りになった生徒たちが全員無事だったことは何にも変えられないことであります。 
校長先生は、時々、校舎をおとずれ、雄勝中の存在した証を探しては写真に収めたり、持ち帰ったりなさっているそうです。 
校旗もその ひとつです。
 
私はカンナの話や植栽リレーのことなどお話し申し上げました。校長先生は黙って聞いておられました。DVDも見て下さいました。 
 私が話し終わると、「橘さんの話を聞いて、ある決心をしました。迷っていたけれど、橘さんに背中を押していただきました!」とおっしゃいました。 
「実は、被災後、雄勝中を訪れると、紫色の小さな花が咲いていたのです。気になっていました。」「たぶん蘭の仲間ではないでしょうか。必ず助けてあげてください!」先生はずっと、迷っていたそうです。私の話を聞いて、やはり球根を持ってこようと、決心したそうです。カンナとともに咲かせてください。一度なくしてしまえば、いつかみんな忘れてしまいます。カンナがそうでした。花は今ここに咲いているから元気をくれます。 
「橘さん、カンナとその花と並べて植えます。また、雄勝に来ていただけますか?」「はい、必ず!必ず来ます!」「来週早々にもう一度雄勝に花を採りに行きます!橘さんの話に背中を押していただきました。ありがとうございます。」 
 「今はいろいろな申し出があり、子供たちの頭の中はごちゃごちゃになってしまうでしょう。カンナの話しは、もう少し頭の中がすっきりしたところでぜひとも聞かせたい話です。9月までにはおよび出来ると思います。」「わかりました。是非そうさせてください。」「橘さんもがんばって下さい。とてもいい話です。感動しました。」 
 とてもうれしかったです。
ここでも花が助けられます。カンナ、水仙、蘭・・・。私も分けていただきたいです。生きる希望がわいてきます。 
訪ねてよかったです。先生にお会いできてよかったです。 
 花の名前がわかるといいですね。 
校長先生は私どもの車をずっと見送って下さいました。涙が出ました。だめでもいい。と思いながら訪ねた学校、校長先生、教頭先生・・・。人間ってすばらしい、そう毎回毎回思わされます。素敵な人に出会えて幸せです。 
 
       

うれしいメールでした。

5月に取材して下さり、お嬢さまとカンナ植えたいと言って下さっていたのに、学校関係、東北としている内にひと月経ってしまいました。気になっていた球根の送付がようやくできました。

以下お返事です。
郵便局の方が、ダメにならないように箱つめして下さいました。土も入れて差し上げれば良かったですね、ごめんなさい。元安川の河岸に私の植えたカンナがあります。
そこの土もよいかもしれません。
2006年に市に寄付して皆で植えました。
この時の広島ホームテレビの6分ニュースのディレクターでキャスターは賞をとったのでうれしいことでした。東京のNHKのラジオの取材もそこでしていて、世界17ヶ国に放送されました。なんだかお嬢さまにとって前途揚々の土に感じます。オススメです!(笑)
好奇心旺盛なAちゃんが咲かせてくれるカンナ楽しみです!ダメになりそうになったら遠慮なく言って下さい。変わりを送ります。
ちなみに、その球根は、広島から長崎に行き、東京で育った球根です!

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記者Eさんからメールです。カンナ大使になって下さった記者さんが3歳のお嬢さまとカンナを育てて下さいます


橘様

きのう、カンナが届きました。ありがとうございます。ペットボトルには、普通の土を入れておけばよいのでしょうか?それでしたら、近くの公園か土手で集めてこようと思います。娘は3歳でAと言います。最近、何にでも興味を持ち始めて、たくさん言葉も覚えてきているので、カンナの栽培も楽しんでくれると思います。花が咲いたら、また写真をお送りしようと思います。

6月23日東洋英和女学院大学公開講座で講演

今日は東洋英和女学院大学公開講座です。
この経緯を少しお話いたします。

一度目の東北行きですれ違った石巻の教頭先生。RCC ラジオからの取材の依頼がなければ、そのまますれ違いのままだったかもしれません。
広島から帰ったと同時に頂いた取材依頼の件を取材OKか確認のためお電話しました。その時、横浜にいらしてたからこそ、渋谷で仕事をしていた私たちは会うことになるのです。

私が短大講師をしていることを知った先生は、大学生に今回の被災のこと講演したいので、どこかで出来ない?と問われお願いしたのが東洋英和女学院大学の教授でした。

自分の講演なら一生頼めなかったです(笑)
被災地の先生からの依頼ですからお願いすることができました。

「情けは人の為ならず」逆に教授から賛助講演の依頼を頂きました。

お陰様で、東北へのカンナリレーのことを伝えることができました。

演題は「ひとりの使命をみんなの志に!」

教室には本学部学生、学部外学生、社会人、教授のご家族、カンナ大使のみなさんが聴いて下さいました。
終了後、質問しに来て下さった学生もあり、カンナを通した生き方のヒントも、お伝えすることができました。

私のカンナや講師業を通した生き方が、若い方の指標になって下さったらこんなにうれしいことはありません。

一歩動くと無限大の世界がそこにはあります。

本や講演を聞くだけでは出逢えない人や事象が、一歩踏み出した人の世界にはあります。

どうなりたいとか、何かしたいではなく、今したいと少しでも思えることをとにかくすることです。お金になるかならないか、とか、将来役立つか否か、そんなこと考えてたらダメです!
「無我」です。あるご住職から言われました。「仏は慈悲です。人間は欲です。その中間の人間は無我です。あなたは無我の人間です。」と。
当時、よくみなさんから聞かれました。「なぜそんなことしているの?」「わからない…。」これが私の答えでした。本当にわからないのです。考えてしていないので、聞かれても答えがないのです。でも毎回聞かれるので困ります。ご住職のことばは私の中にストンと落ちました。
「無我」そうなんだと思いました。
今、「したいなと感じたこと」、もちろん我欲でないことです。「大事なことだと思えること」をひたすらやることだけです。大事だと思えること、自分がしたいことならば、お金がなくても、だれにも認められなくても、失敗しても……やれるのてす。
私にとってカンナがそうでした。カンナが咲いたことを忘れてはならない「大事」なことだと思ったのです。カンナを植えはじめたことは「したい」ことです。
大事なことしたいことは苦になりにくいですね。努力とは感じないですね。
そして、自分が大事と感じしたいことをしていて、賛同して下さったらうれしいと感じます。有難いと感じます。
いつも、うれしいな、有難いなとおもうのです。

今日、私に質問しに来て下さった学生さんは、それだけですでに一歩を歩み出しています。

私のカンナがあなたのカンナになり、世界のカンナになるといいなと思います。
「私の使命をみんなの志に!」です。

奇しくも、三橋教授から頂いたご著書を拝読すると、
「個人から始まる行動が、家族ー地域社会ー国民国家社会ー大地域圏を経て地球社会に達する過程」を研究されている内容でした。
本日の公開講座に対し、丁寧で思いやりあふれる経緯を経て本日にいたりました。お骨折り頂きました三橋教授、誠にありがとうございました。ご自身の大事な授業の時間を下さったことにも恐縮し、感謝申しあげます。素敵なお嬢さまとの出逢いが今日の講演につなげて頂きました。

お嬢さまもカンナ大使です。


最後になってしまいましたが、日野先生からも、よい体験の場をありがとうございましたとメールを頂きました。

2011年6月22日 (水)

広島でカンナ、仙台水仙、石巻では蘭が・・・・

6月14日 雄勝中学校校長先生と橘の共通項 
 先月、道を教えていただいたご縁からカンナを植えた仙台鶴巻小学校にこのたびは、授業と植栽が予定されています。12時には石巻を発ちたいと思います。 
 雄勝中学校に是非行ってみてはいかがかと薦められ出かけました。飯野川からすぐの県立高校の校舎を間借りしているそうです。校舎は津波に飲まれ使えなくなったのです。 
泥まみれの校旗が見つかり、そのまま掲げてある。「あえて洗わないでおこうと思います。」と校長先生・・・。 
「生徒は奇跡的にも全員無事でした。一人もかけることが無かったということが一番です。」校長先生はおっしゃいました。                    
 間借りしている校長室の壁には、311日からのことが写真で綴られていました。311日は雄勝中学校の卒業式だったのです。晴れやかな顔の卒業の写真がありました。その後に、あの地震があり、津波で何もかも消えたのだそうです。 
 卒業式から帰った後、散り散りになった生徒たちが全員無事だったことは何にも変えられないことであります。 
校長先生は、時々、校舎をおとずれ、雄勝中の存在した証を探しては写真に収めたり、持ち帰ったりなさっているそうです。 
校旗もそのひとつです。
私はカンナの話や植栽リレーのことなどお話し申し上げました。校長先生は黙って聞いておられました。DVDも見て下さいました。 
 私が話し終わると、「橘さんの話を聞いて、ある決心をしました。迷っていたけれど、橘さんに背中を押していただきました!」とおっしゃいました。 
「実は、被災後、雄勝中を訪れると、紫色の小さな花が咲いていたのです。気になっていました。」「たぶん蘭の仲間ではないでしょうか。必ず助けてあげてください!」先生はずっと、迷っていたそうです。私の話を聞いて、やはり球根を持ってこようと、決心したそうです。カンナとともに咲かせてください。一度なくしてしまえば、いつかみんな忘れてしまいます。カンナがそうでした。花は今ここに咲いているから元気をくれます。 
「橘さん、カンナとその花と並べて植えます。また、雄勝に来ていただけますか?」「はい、必ず!必ず来ます!」「来週早々にもう一度雄勝に花を採りに行きます!橘さんの話に背中を押していただきました。ありがとうございます。」 
 「今はいろいろな申し出があり、子供たちの頭の中はごちゃごちゃになってしまうでしょう。カンナの話しは、もう少し頭の中がすっきりしたところでぜひとも聞かせたい話です。9月までにはおよび出来ると思います。」「わかりました。是非そうさせてください。」「橘さんもがんばって下さい。とてもいい話です。感動しました。」 
 とてもうれしかったです。ここでも花が助けられます。カンナ、水仙、蘭・・・。私も分けていただきたいです。生きる希望がわいてきます。 
訪ねてよかったです。先生にお会いできてよかったです。 
 花の名前がわかるといいですね。 
校長先生は私どもの車をずっと見送って下さいました。涙が出ました。だめでもいい。と思いながら訪ねた学校、校長先生、教頭先生・・・。人間ってすばらしい、そう毎回毎回思わされます。素敵な人に出会えて幸せです。 
 
               

日本一の道の駅

この道の駅は、全国で人気№1の道の駅だそうです。名前を『上品の郷』といいます。駅長さんにお目にかかりました。話をさせていただき、すぐにカンナを植えてくださることになりました。 「学校ばかりでは、なかなか市民の人たちの目に付かないから、道の駅に植えると皆に知っていただける、希望は大人にも必要だろう」と、ご理解くださいました。正面の駐車場の中央のとても目立つ所にある花壇に植えました。 
Photo
ここにもカンナが咲きます。 
立て札を書いて意味を知らせてくださ 
ることをお願いいたしました。
東日本の皆さんがんばれ!!」の横断幕 
のところに戸坂小学校の色紙を掲げて頂 
きました。戸坂の寄せ書きはコピーして、各 
校にお渡ししています。そして原本の色紙は 
道の駅で、皆様に読んでいただきましょう。 


                                                                                   戸坂小寄せ書き写真橘 
駅長さんは車がみえなくなるまで見送ってくださいました。 
平良小学校のコピーも各校にお渡ししました。残りの100校に植えることになっているとのことですが、残り95校にはH先生を通じて植えることになります。お手数をおかけします。ありがたく思います。次回必ずまた、回れるだけ回りたいです。 
  
 
 
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2011年6月21日 (火)

土地勘のない私たちの案内をしてくださったのはSさん ありがとうございました

Photo_2
 宮城の学校は、すぐ隣町といっても広島のようなわけにはい 
きません。私どもだけだったらとても回れませんでした。H先生 
に紹介していただいた秋田の方が、ご自身の仕事と併せてご 
案内くださいました。おかげさまで迷わず、訪ねることができま 
した。Sさん、H先生ありがとうございました。 
 広渕小学校も、詳しくはきいてなかったとのこと、資料をお渡 
ししてお話しさせていただきました。球根を植えておいていた 
だくことにして、改めて、子供たちに向けて話をさせていただけ 
ればとお伝えしました。ここには平良小学校の球根をバトンし 
ました。平良小のメッセージカードのコピーを添えました。 
 次は、蛇田中学校です。こちらでも詳しくは聞いていなかった 
とのこと、校長先生がお留守でしたので、教頭先生にお話をさ 
div style="mso-char-wrap: 1; mso-kinsoku-overflow: 1">せていただき、ご賛同いただきました。球根を植えておいてい 
ただくことにいたしました。次回東北に来るときには計画を立 
てたいです。こちらには、安田小学校と戸坂小学校の球根を 
バトンしました。 
 次は、万石浦中学校です。すべてH先生からメールでいた 
だいた順番に回ります。今までの学校は、比較的被害の少    
なかった地域の学校でした。体育館は避難所になっていても
学校は無事で児童生徒たちも無事というところでした。このように被害の少ないところを走っていると、この石巻というところも、すばらしい景色の広がる長閑な良いところとしか表現できません。いよいよ、この次に行く地域は海に近く被害の大きいところです。 
 
 道の両側の建物は壊れ、電柱も倒れ、 
校庭の遊具もひっくり返っている。建物 
はかろうじて姿をとどめてはいても、ガラ 
スは打ち破られ、カーテンは引き裂かれ  町中なのに舟があったり・・・・。液状化も見られます。学校は更に海の近く。ところがこのあたりはなんとも無いのです。閑静な住宅街です。何事も無かったかのような風景です。学校も無事でした。 後で伺いましたが、湾に押し寄せた津波は、入り組んだ湾内に押し寄せられた舟がブロックになり津波はこの地域のほうには上がらなかったそうです。本来なら、ここももちろん津波の通り道です。九死に一生を得るとはこのこと、何が因果かわかりません。 
 
ここでは、ちょっとしたハプニングです。私が、万石浦小学校を中学校と勘違いしたことです。わざわざ、小学校に着いたのに、Sさんが仕事でこの小学校に行くというのを見送って中学校に行ったのです。 
なんだかわからないのに校長先生も教頭先生も良く話を聞いてくださいました。良い話なのでカンナ植えます。といっていただいて、よくよくメールを見たら、なんと、小学校のほうでした・・・。お詫びをして急遽小学校に電話をいれ、事情を話しました。まったくの勘違い、お恥ずかしい限りです。穴があったら入りたい思いでした。要するに約束のないところに行ったのに、知らぬが仏だった故に、堂々としゃべってしまえたのです。              
怪我の功名。ここでもカンナが咲きます。ここには安田小学校の球根がバトンされました。その後急ぎ小学校へ行きました。校長先生がおかしいなあ、こないなあと思っていたとおっしゃいました。本当に申し訳ありません。昨日から一覧表にマーカーでしるしをつけて準備していたのが私の間違いだったのです。お詫びをして、お話しさせていただきここにも安田小学校のカンナが植えられました。 
ハプニングはあったものの、学校はすべて回ることができました。帰り道はまた被害の大きかった地域を走りH先生にご報告です。昨日も宿に着いたのは真夜中、朝も6時に出発。今日は夕食ままでには宿に着くようにとご配慮をいただきました。 
1件だけ、道の駅に寄るようにと薦めてくださいました。 

6月13日RCC、朝日新聞取材 大谷地小学校へ

613RCC、朝日新聞取材 
 この度の石巻ではキーパーソンと呼べる方がいらっしゃいます。 
精力的に支援を呼びかけ、ボランティアスタッフと交流し、著名人 
を呼ぶ企画をするなど、パワフルに動かれている方がHさんです。 
 一度、渋谷でお会いしただけですが、カンナを咲かせることに 
対して絶大な賛同をくださり、たくさんの学校に呼びかけて下さ 
いました。とてもうれしいことです。 
 しかし、少し心配もあるのも事実です。具体的なことが何も伝え 
られていないのです。連絡先も、回る順番もはっきりした時間も。 
お忙しいから仕方ないと思います。しつこくたずねるのは私の性 
に合いません。どうしてもと思い連絡すると「大丈夫!」と。大丈 
夫というものをそれ以上聞けません。「わかりました。よろしくお 
願いいたします」というしかないのです。 
 私一人ならまったくそれでかまわないのです。なるようにしか 
ならないからです。今まですべて私が一校一校お話しして賛同 
を得て植えさせていただいてきました。飛び込みで押し付ける 
ことは一切していないので、必ず、前もって電話でも、手紙でも 
コンタクトはとって行ってました。 
 しかも、今回は取材の申し込みがあり、確認してラジオ局にも 
新聞記者にもお返事した責任があります。しかも地元ではなく、 
広島からの取材です。もし、子供たちに向けての話しができな 
いことになったら、あるいは、植栽の時間は取れないとか、また 
は、取材自体まずいとか・・・。「大丈夫とは聞いていますが、何 
しろ直接お話したことが無いので、万が一のことも想定しておい 
て下さい。でも、今までも断られたことは無いので、何とか気持 
ちは伝わると思います。なんとかします!と正直なところをお話 
ししました。9時、約束の時間にお訪ねすると、「詳しいことは何 
も聞いてないのです。」と校長先生。とにかく心をこめて活動の 
内容、今回の訪問の目的、取材のことすべてお話しいたしまし 
た。「それはすばらしい活動です。急なことではありますが、早
速、担任の先生に相談しましょう!」すばらしい学校です。校長先生の力量です。なかなかいまどきの、カリキュラムに追われたゆとり教育で、しかも、被災で遅れている教科のことを考えると申し訳ないと思います。               
 個人的には、勉強より大事なものがある。今時間を割いたことは必ず役に立つという自負があってしている活動ですが、 
それぞれのお立場を尊重するのが私の進めかたです。 
無理なことは必ずどこかでしわ寄せが来ます。納得いただいてすることが大切です。だからこそ一校一校自らの足で訪ねていたしてきた活動なんです。 
 今日はほんとうに感謝します。急な申し出に対処くださり、その上取材にも応じてくださりありがとうございました。 
おかげさまで、からぶりを避けることができました。特に朝日の若い記者さんはこのためだけにデスクにお願いしてきたのですから。なんとかしてあげないと・・・。今年記者になったばかりの女性記者さんです。本当に良かったです。校長先生、担当の先生柔軟なご対応ありがとうございました。おかげさまで私も面目躍如。 
 ここで面目躍如している場合ではありません。さて、これからが本番です。子供たちに話して、なぜカンナを植えるかお話して、カンナを植えようという気持ちになってもらうことです。子供たちは素直です。自分たちが被災したことを原爆にオーバーラップさせるというよりも、純粋に原爆大変だったでしょう・・・?という感想を持ってくれるのです。すばらしい感覚です。恐れ入ります。 あなた方のほうが、今現在だから大変なのに・・・・。なんて寛容な感じ方ができるのでしょう。「今度、広島の人たちに何かあったら恩返ししたい!」そんな風に言ってくれる東北のこどもたちです。どうか、もう2度とこのようなことがありませんように強く強く祈ります。そして、こんな風に感じる子供たちのこと、皆に伝えます。天使です。 
 一緒に球根を植えました。ありがとう。皆に元気になってもらいたくて植えたのに、広島のこと心配してくれて。私はこの
子供たちのことを誇りに思います。記者さんも子供たちに感動 
たと思います。広島から来てくださり、いい取材ができてよかっ 
たです。皆さんありがとうございます。ここには、安田小学校 
の球根がバトンされました。 
 RCCラジオは生放送もあったようです。いつも自分は聞けな 
い、見られないのが残念です。710日の放送は東京で聞け 
るのでしょうか・・・?いつも聞くのを忘れてしまいます。さあ 
、次は広渕小学校です。できるだけお会いして気持ちをつなぎ 
たいです。 
 
                 

避難所体育館 「カンナさんだ!」の声にうれしい再会

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避難所体育館 「カンナさんだ!」の声にうれしい再会 
 ちょうど1ヶ月、カンナは葉をつけていました。体育館に入ると 
「あっ、カンナさんだ!」とうれしい声に迎えられました。 
ひとつ芽の出ない球根がありましたので、植え 
替えました。写真家でもあるカンナ大使Hさんは、 
前回の写真を引き伸ばし、人数分焼き増しして 
下さいました。一人は仮設住宅に移られ、一人 
は入院と聞きました。その他の方々にはお会いで 
き、お話を今回は伺うことができました。時が人の 
心を少しずつ解放すのでしょうか・・・・。原爆の広島の人たちも 
そうだったように・・・。写真をお渡しすることができてよかったです。入院の方もお兄様が預かってくださいました。仮設住宅の方の分も預かってくださいました。ここの方々は泣き言を言いません。事実は話しても、泣き言や不満はおっしゃいません。現実だけを見ていらっしゃるように感じました。 
 ボランティアの方々もさまざまです。特にお話したのが撮影所のボランティアさん。カメラマンの助手の方です。撮影用にメイクするアーティスがいらして、プロの撮影をして頂く。こんなつらい経験をしたけど、こんな楽しい経験もしてみよう!モデルになったように美しく撮られた方々の写真をたくさん見せていただきました。 
 そして雄勝(おがつ)の漁師さんたち。被災後に海に行き、現状を視察したのでしょうか、海にもぐる写真、船に乗る写真。スライドショーでパソコンの画面に映し出された自分たちの姿を見て、自然とこぼれる笑顔、輝いて見えました。まさに水を得た魚のように活き活きと映し出された数々の写真をみて、テレビでは伝わらない人間の心の奥を見させていただいたように思いました。 
 テレビで見ていて、なぜ危険な津波の町に戻りたいのだろうか・・・?などとは決していってはいけない。そこで暮らす人にしかわからないものがあるのだ。生き様、生きがい?・・・なんだろう・・・・?それをしていることが、生きていることそのもの。 
そんなものだろうか。ここの方々を見ているとそんな事が分かる。人からなんと言われようと、それをしていることが生きているということ。そんなものに出会えている人生をお持ちなんだと感じた。一日も早く元どおりの漁ができると良いと心から思いました。それを私に気づかせてくださったカメラマン。すばらしい出会いが、この避難所にはある。どんなところにも良いものがある。それを見い出せた人は幸せに暮らせる。穏やかに暮らせる。 
 避難所に一緒に寝泊りを長くしないと本当は見えてこない。そう思いながら避難所を後にしました。 

校庭に泳ぐたくさんのこいのぼり  石巻市立飯野川第一小学校

Photo

飯野川第一小学校に泳ぐこいのぼり 写真橘

校庭に泳ぐたくさんのこいのぼり 
 日曜日なのが残念です。学校を訪ねることができません。一路 
飯野川第一小学校に向かいます。今日は北上川 
にこいのぼりがあがると聞いていました。子供たち 
はきっとたくさんのこいのぼりが風に元気に泳ぐ様 
子を見て元気になるでしょう!カンナと同じ目線の 
活動だと思います。 
        
 H先生から、川に泳ぐ川に泳ぐと聞いていたので、車で川を目指 
しながら走りました。変更があって、こいのぼりは校庭に泳ぐこと 
になったとは、後から聞きました。校庭に泳ぐこいのぼりたちは、 
子供たちの手に触れ、頭を掠めて泳ぎます。 
川に渡されて泳ぐこいのぼりは圧巻ですが、復興の象徴としては、 
手の届くところに未来を感じられる、校庭のこいのぼりは最高の 
プレゼントだと感じました。 
 片付けには子供たちも自発的に参加して、丁寧に1枚ずつ畳み 
ます。たくさんの人たちの善意がたたみこまれています。 
 

3ヶ月経った被災地

3.11から3ヶ月。私が訪れて、ちょうど1ヶ月です。東北へ向かう景色は少し変化を見せています。
 無味乾燥なサンドべージュの中に、緑が見えます。先月は無かった緑色が、そこかしこに低く広がっています。自然は強い。3ヶ月で息吹いてきたのです。
 それとは対照的なのが、茶褐色の固まりと化した車の残骸でした、家の鉄骨でした。
いつも、自然が先に強さを見せてくれます。文明はもろい。いいえ、もろいのは物質です。物質に人の心が添えられたとき文明は強くなる。
 2度目の東北。道も分かり、迷うことなく蒲生に着きました。蒲生は被災地の重機の活躍の跡が見えるほど整地されつつあります。残骸となって立っていtた建物は取り払われ、あたりは見晴らしよく平らな瓦礫の地と化していました。ところどころには整然と積み上げられた瓦礫の山、車の山があります。人の手の加わったことが見て取れます。
 相変わらず、非難した体育館は残っていて、周りに建物がなくなったせいでしょうか、ひと月前に見たときよりも近くに感じました。異臭が前回より強く感じられます。カラスが異様に多いのが気になりました。
水仙はもうあとかたもなくなっていました。重機は佐藤様の家の跡地にも入っていました。良かった・・・・。水仙は、今は広島の子供たちの心にしみて生き残っています。カンナのように忘れ去られる事はもうありません。本当に良かった。佐藤様も喜んでくださいました。水仙助けに行ってよかったと思っています。
 時として、私たちは小さな力に助けられることがあります。ちょっとした笑顔や微笑、短いことば、そして小さな名もない草花・・・。大事なのは、『感じ取る心』です。
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1ヶ月前の水仙


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朝日新聞からも取材の依頼が・・・

朝日新聞からも取材の依頼が・・・ 
先日の朝日の記事が送られてきました。お礼の電話をすして、 
6月に再度東北に行くことを話すと、取材したいという申し出がありました。うれしいことです。広島に伝えてください。お願いします。  
このところは、飯野川のH先生と連絡取り合っていますが、石巻の小学校でカンナを植えてくださるのは100校近くになったと連絡がありました。うれしいです。少しでもお役に立つことができるなら、皆がそう思っています。ただ、連絡が間に合うかどうか・・・。広島の学校に連絡するにも、私も授業があり電話連絡は難しく、その上、土曜日曜が入り、その上学校は運動会、修学旅行、遠足シーズンです。うまく、連絡そして球根掘り起こし、送付、子供たちのメッセージなど整うか心配です。球根も大事ですが、何とか子どもたちのメッセージを届けたいとおもいました。 
 福島のカンナ大使のHさんのご都合も伺い、どうやらすべて整い、いつものごとく、資料を作り、冊子を書きたして印刷、折って、とめての作業を徹夜で5冊のところでタイムリミット。新幹線で福島へ向かいました。 
 福島では、前回同様にHさんがジープでユンケルを買って待っていて下さいました。本当に有難いです。買い物に行く時間も無く印刷作業やらにおわれていて、半ばフラフラな状態ですから、本当に助かります。新幹線の中で1時間ほどぐっすり眠りました。人に運転させてグウグウ寝るわけには行きません。 
Hさんは「寝ていいから」と言って下さいますが、とんでもないことです。 
 Hさんだって忙しい中お疲れの中に協力してくださるのです。 
本当に感謝です。旅は道連れといいますが、道連れがなかったらとても難しいことです。ありがとうございます。 
 東北に向かう2日前に、佐藤様(すいせんの持ち主)にはお電話をいたしました。借り上げの仮設住宅での生活が始まったこと、電化製品13日から使えること、カンナと水仙は、伯母上様のところで植えているとのこと、12日は水仙が形見になったお母上さまの13回忌の法要だということ。などが分かり、少しほっといたしました。仮設住宅は2年だけですから、その後のことを考えれば、まだまだ安住の地ではありませんが、とりあえず避難所生活から開放されたのではないかと思った次第です。
佐藤様の写真を送る住所を伺いました。住所が定まらないと何も始まらないと感じます。良かったですねと申し上げてよいか分かりませんが、これしかことばが見つかりませんでした・・・・。
         

RCCラジオから取材の依頼 広島~石巻へのカンナ・リレー

RCCラジオから取材の依頼 広島~石巻へのカンナ・リレー
 充実した広島での授業(子供たちへの話は講演ではなく授業と呼びたいです)を終え帰宅すると、広島RCCラジオからFAXが届いていました。東北に株分け植栽するときに取材したいとのこと。希望日は6月13日。今日は20日、土、日が入り学校への連絡は21日。仕事中は連絡できず、なにかと連絡は遅れがちですが
できるところまで遣ってみようと思います。
広島RCC:ラジオさんは、今回の広島での掲載新聞記事を見て、東北へのカンナのリレーを取材したいとのことでした。
 取材が入るとなると先方の許可も必要です。13日、14日が希望だとのこと。先日の訪問からちょうど1ヵ月後です。
 鶴巻小学校にS教頭先生に電話をすると快諾くださり、カリキュラムの調整をして下さることになりました。二の足をを踏んでいた東北でしたが、周りから押されるようにして2度目の訪問が決まりました。ありがとうございます。
 
 もう1校は飯野川第一小学校です。先日はお会いできませんでしたH教頭先生にお電話すると、横浜にいるとのお返事、私は渋谷におりましたのでお会いすることになりました。
私のしてきたカンナの6年間のことをお話申し上げ、賛同くださり取材もOKとのことです。飯野川は植えられないので、他を紹介して下さるとのことになりました。
H先生は精力的に動いて支援を求めているそうで飛び回っていらっしゃいます。大学でH先生の講演ができないかとお願いされました。被災地にとってプラスになることなら、もちろん私も応援を惜しみません。某大学教授にお願いしてみました。逆に私のカンナの話も聞きたいとおっしゃってくださり。H先生と橘の賛助出演の講演となりました。(623日10:40~12:10東洋英和女学院大学横浜キャンパス。公開講座ですので当日どなたでも参加することができます。是非おこしください。
詳しくはホームページ&ブログニュースでご覧ください)
ひとまず、RCCにもお返事して13日の取材が決まりました。
         

廿日市市立平良小学校で授業 校長先生が替わっても、伝えられる仕組みがほしいです!

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廿日市市立平良小学校で授業
 廿日市市立平良小学校でも授業をさせていただきました。子供たちはまるで記者にでもなったかのようにペンを走らせながらメモをとり、聞いてくれました。思わず、子供たちが書き取れるよう手の動きに合わせての話となりました。校長先
生も、子供たちと一緒に聴いてくださいます。
球根を東北にたくさん送ってくださいました。
有志の子供たちが書いたメッセージをパウチ
して素敵なカードにして下さいました。
 [平良小学校の球根は、後日613日、宮城県石巻市立大谷地小学校の6年生の子供たちの手で植えられました。14日は宮城県仙台市宮城野区鶴巻小学校の6年生が、そして15日は岩手県大舟渡市立大船渡小学校6年生が植えました。バトンはつながりました。メッセージはコピーにして渡しました。(コピーの間に合わなかったところもあります。)〕




01
岩手県大舟渡市立大船渡小学校6年生


 
 平良小学校には田辺さんのことも報告しました。寄せ書きを思いついてくれたのもこの学校の子供たちでした。その6年生は卒業してしまいました。
田辺さんのことや、その後のことを伝えていかなくては意味がないです。先輩たちがしてくれたこと、それで田辺さんの大奇跡を引き起こしたこと伝えたいです。やさしい先輩たちのこと伝えたいです。
 
平良小学校のあと、廿日市小学校に挨拶に参りました。校長先生が替わりました。校舎はすっかりリニューアルされていました。
新しい校長先生もこのカンナのリレーには理解を示して下さいました。ありがたいです。是非子供たちにつながせてください。
校長先生が替わっても、伝えられる仕組みがほしいです!

2011年6月19日 (日)

カンナ大使Aさまからのメール

凛保さん、こんばんは

今日の朝日新聞・朝刊の社会面(37ページ)に、凛保さんとカンナの記事が載っています

『復興の球根 広島から石巻へ』安田小学校の球根を、大谷地小学校へリレーした植樹の記事と写真です。

先日のブログに紹介されていた

点に始まり 天に広がる

本当に素敵な言葉ですね

この世に偶然はなく、すべてが必然だそうです。

人も、メッセージも、すべての出来事、出会い、偶然や奇跡、カンナ街道へと導かれ(道引かれ)凛保さんと出会う運命なのですね

中略
以下はモンサンでウェディングに立ち会ったご夫妻に女の子が誕生したお話です。名前は「ライカ」ちゃんだそうです。
以下Aさんのメールに続きます。

普段はローマ字表記で、日本語表記に当てた漢字は、荒れ地に咲く花という意味だそうです。
まるでカンナですね。

長崎カンナ大使Fさまから「うれしいお便りありがとうございました」Fより


橘様
 被災地に精道のカンナも植えられたと聞き、カンナの花で震災で大変
な苦労をなさっている方々と少しでもつながれたことをうれしく思いま
した。子どもたちにも伝えたいと思います。長崎の地からカンナの花を
見る度に、被災地の方々と心を一つにして、復興のために祈り、何か出
来ることをしていこうと、子どもたちに伝えたいです。
 今、私は、体調不良が続き、長期療養中なのですが、思いがけない橘
さんからのメールに、元気が出てきました。早く完全復帰して、働きた
いと思っております。どうぞ、お祈りください。

2011年6月18日 (土)

朝日新聞6月14日朝刊社会面  復興の球根広島から石巻へ

後先になりますが、朝日新聞記事を読んで下さった方が、記事を書き留め送って下さいました。ありがとうございます。以下に載せさせていただきます。

朝日新聞
被爆地・広島で育てられたカンナの球根が13日、東日本大震災被災した宮城県石巻市の市立大谷地小学校に届いた。「花を咲かせて復興への勇気を出してほしい」と、東京都港区の創作浄瑠璃作家、橘凛保さん(53)が児童に手渡した。

橘さんは2004年に広島市の広島平和記念資料館を訪れた際、朝日新聞のカメラマンだった故・松本栄一さんが原爆投下1ヶ月後に撮った、焼け跡に咲く1輪のカンナの写真に感動。08年からカンナを学校で育て、原爆や平和を考える取り組みを続けている。

大谷地小に津波の被害はなかったが、体育館が地盤沈下で使用不能に。橘さんは6年1組の31人に「カンナは平和や希望を伝えるバトン。原爆の後に咲いたカンナで生きる勇気を出した広島のように、石巻も元気を出せるはず」と話し、広島市中区の私立安田小学校で育った球根を児童とともに校庭の花壇に植えた。

球根を植えた6年の遠藤尚輝(なおき)君(11)は「石巻でもカンナを咲かせたい。今度広島の人に大変なことがあったら、何かしてあげたい」と話した。
(清宮涼)

㊤カンナの球根を植える子どもたち=13日午前、宮城県石巻市の大谷地小学校、中里友紀撮影

㊦原爆投下後の広島で撮影されたカンナ=松本栄一本社カメラマン(当時)撮影

2枚の写真の下、記事の真ん中に
「カンナ、希望のバトン」の文字があります。

子どもたちの写真はiPhoneサイズ?の大きな写真ですよ。
両手で一生懸命植えている、素敵な写真です。

2011年6月11日 (土)

カンナ大使Dさまからのメール

お疲れ様です。 先ほどブログを拝見しまして、ある言葉を思い出しました。 去年の正月に宮島に初詣に行った時に厳島神社から山側に登ると 大聖院と言うお寺が有りまして、そのお寺の掲示板に張って有った言葉です。 
『 点に始まり 天と広がる 』 
まさに橘さんが勇気を持って最初の点を描いた事で 波紋の広がりのように天と広がっていっているのだなと 感じさせられました。まだまだ広がりはとどまる事は無いようですね。これからも今まで同様自然体で体を大事にしながらやってください。
 

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エレベーターで偶然

広島での3日目、カンナ大使のT元校長先生は教育長に引き合わせたいけれどアポイントが取れなかったと、役所を訪れる際におっしゃっていました。エレベーターのボタンを押すとドアが開きました。
一人男性が乗ってらっしゃいました。 T先生の挨拶をなさっている様子から、私もご挨拶したほうがよさそうだと思い、名刺と持っていた資料をお渡ししました。

なんと、その方が教育長だっのです。「私、教育長の濱元です」と名乗って下さいました。びっくりでした。お急ぎのご様子でした。 エレベーターで一階につくまでのほんの一瞬の出来事でした。

その夜、教育長から丁寧なメールを頂きました。

○車を待たせていたこと、
○冊子を読んだこと
○ホームページをみたこと
○一枚の写真から始まった活動が、国の内外にまで広がり、大きなネットワークに育ちつつあることに感動したこと
○これまでの活動に心から敬意を表するということ
○今後、教育委員会として出来る限りのお手伝いをするとのことなどが書いてありました。

有難いです。ありがとうございます。

私もご返信申しあげました。
びっくりのタイミングでの出会い。
うれしいメールを頂きました。

教育長、ありがとうございます。
T先生、ありがとうございました。

具体的にどのようなお手伝いをいただけるのかわかりませんが、うれしいメールでした。

毘沙門台小学校からお礼状が届きました。

毘沙門台小学校は、先日大州小で始めてお目にかかった校長先生の計らいで急遽授業をさせていただくことになりました。広島では郊外になるのでしょうか・・・。そう遠くないのですが高台の景色の良いところにある学校です。 
 子供たちもメモを取り良く学んでくれました。後日お礼状が送られてきました。
6年間もカンナを伝えているのに、まだまだカンナのことをはじめて知ったという人がほとんどです。私の力は小さいですね。まだまだがんばらなくてはね! 
青は子供の言葉です。
 カンナを大切に育てます!ありがとう。今度橘さんがくるまでにたくさん増やしておきます。うれしいです。カンナ大使として、すぐに家族に話しました。立派なカンナ大使です。 
「カンナが1ヶ月で咲いたのは何でだろう?勉強しておきます」 
こういうことが大事です。本当に調べて教えて下さい。6年前、私も同じように思い調べました。本当に知りたいと思うと、見つかることがたくさんあります。不思議に出合うのです。『原爆にあっても絶対にあきらめるな」とカンナは言っていたんじゃないかと思いました。そうですよね。 
 田辺さんのことも書いてくださいましたね。ありがとう。感動したの 
は田辺さんが、広島のこどもたちのために球根1000個もくれたこと。亡くなってしまったけれど息子さんが受け継いだこと。ありがたく立派なことですよね。世界中に咲かせたい!うれしいです。カンナがあちこちに咲くと世界が幸せになる、平和になる!そう感じてくれるのですね。ありがとう。子供の名前を「カンナ」にしたい!うれしいな!同じことを言ってくれたカンナ大使のお姉さんは今年結婚したのですよ。ピースボランティアをしていますから、そのお姉さんに案内をお願いしてみて下さい。カンナの写真の前でこのことを話していただくように頼んでいます。真樹さんという名前です。カンナみたいにあきらめず前向きでいたいです。そんなふうにいえるのは素敵ですね。カンナ大使として、1年生や2年生にも伝えていきたい。小さい子にもわかるように話してあげてほしいです。ありがとう!飼育委員をしていて命の大切さが今回よくわかりました。動物も、人間も、花も命を繋いでいるんだよね。球根が5倍に増える、まさにバトンだな。そうですね増えるから分けてあげられる。カンナでよかったです。カンナを育てていた人たちに感謝をして大事に育てたいなと思いました。素敵な言葉です。ありがとう。みんなの気持ちもバトンしています。リレーするたびに、何倍も何倍にも感謝の心が膨らむね。 
世界中にカンナの花が咲き世界中の国が平和であってほしいです。 
私がみんなくらいのときは世界は遠く、自分の周りのとても小さい範囲しか考えられなかった。みんなは偉いです! 
東北地方に植えていてすごいと思いました。広島の子供たちが大事に育ててくれたから、東北の被災地に上げることができるのです。ありがとう。来年みんなのカンナもどこかで咲きますよ。よろしくお願いしますね!カンナの球根のことは私たちがしっかり育てるので、橘さんもいろんな人に「カンナ」すごさを世界中の人に教えてあげて下さい。心強いです。ありがとう! 
一緒に協力してくれていた人が亡くなったのに、くじけずに今でもこういうふうにがんばって下さってありがとうございます。 
僕たちもこのことをいろいろな人に知ってもらえるようにがんばります。橘さんもがんばって下さい。応援しています。ありがとう!みんながいるからくじけそうになってもがんばれるのです。ありがとう! 
原爆で苦しんでいた人も真っ赤なカンナを見たら元気が自然 
とでてきたと思います。見たら元気が出るのも植物の力だと思います。私もそう思います。あんな小さな花たちが元気をくれる。私もみんなに元気を上げられるような人になりたいです。 
そして、子供たちは私の体を気遣ってくれるのです。なんて素敵な子供たちなのでしょう。ありがとうございます。優しいカンナ大使のみなさん、どうぞカンナをよろしくお願いします。 
 16日に電話で済ませるところを、たまたま大州小学校の近くを通ったので直接大州小に行ってよかった。毘沙門台小の校長先生が早く大州小にいらしてよかった。 
だからみんなと出会えました。感謝です。皆さんの素敵な感性、優しい気持ちを、カンナを育てるのと同じように大切に育てて下さい。 
カンナを伝えることは、みんなの優しさ、あたたかさ、そして強さも伝えることになるのです。今日出会えたことは、私にとって宝ものです。感想文を書いてくださりありがとうございました。 
私の部屋には、子供たちからの感想文がたくさんあります。子供たちのハートがたくさんあふれていてほわほわしています。 

荒神町小学校にもカンナと水仙を

T元校長先生のご案内で荒神町小学校に球根を届けました。 
とても良い取り組みなのでうちでも是非お話して下さいとのことでした。後からお電話で7月6日にすることになりました。 
 旅費がかかるので1校のためだけに広島に来るのは正直もったいないです。せっかく自費をはたいて参りますから他にも何校か回れると良いのですが・・・・。これは何とかお願いしたいと思います。 

広島の中学校でもカンナの話を

大州小学校を出ると、隣の大州中学校でもカンナを植えてくださっているそうです。ちょうど門のところで生徒を送る先生の姿がありましたので、ご挨拶だけ申し上げようと車から降りてお声をかけました。なんと校長先生がお見送りなさっていらしたのです。ご挨拶とお礼を申し上げ、中学校でも生徒のみなさんにカンナの話をしたい旨を話しました。校長先生は「生徒会が中心になって取り組むと良いですねとおっしゃると、ちょうどそこに生徒会の担当の先生が見えてお話を聞いてくださいました。 
 具体的なことはまだですが、中学生は鹿児島の霧島中学校の取り組みを参考にしていただけると良いと思いました。 
いずれ機会を頂けたらと思います

大州小学校 大州カンナ街道計画も

 大州小学校は校長先生がもう2人代わり心配しましたが、きちんと引き継いで下さっていて本当にうれしいです。 
一番の問題点は伝承です。毎年子供たちが卒業するとなかなか下の学年に伝わらないこともあります。先生方も然りです。 
それはとても残念に思います。 
このたびの校長先生も理解くださいます。東京武道館の近くに1年間お住まいだったとのこと、ご縁を感じました。 
 子供たちもよく話の聞ける子供達です。みんなニュースを良く見ているなと感心しました。水仙の話は特にみんなが知っていますから、大事に育ててくれることと思います。 

戸坂小学校 OBの校長先生が同行くださいました

 戸坂小学校での授業には一番最初にカンナを植えて下さった 
白島の元校長先生が送迎をして下さり同行くださいました。 
余談になりますが、T元校長先生は俳句を嗜まれ、現役時代に 
は子供たちにも、俳句を書かせていらっしゃいました。何人も『おーいお茶』のペットボトルの俳句に選ばれています。 
今回のT先生の俳句です。8月ごろ手にすることがあると思います。 
「一面の   焦土の中に    カンナ咲く」 です。 
うれしい一句です。是非見つけてください。 
 さて、戸坂小の子供たちも本当に立派です。じっとカンナの話、東北の話、水仙の話を聞いてくれました。 
この子供たちが健やかにのびのびと力を発揮できる平和な世界を築かなくてはと思わされます。 
戸坂からは特にたくさんの球根が届けられています。ありがとうございます。 
既に東北に植えてきたことも伝えました。子供同士交流を頼みますね。私にいろいろ教えて下さい。 
・。

矢野小学校6年生に授業⇒鶴巻小学校へ 
 6年生が平和学習として聞いてくれると同時に、今回の被災地への取り組みとしてカンナを株分けしてくれました。1箱は仙台の鶴巻小学校に届けられます。鶴巻からは、中野栄小学校にも植えられたと聞いています。このことを通じて、交流して、生の声を交換できると良いですね。 
 東北地方の大きな地図は役に立ちました。散々使いましたから少しぼろぼろになっていますが、行って来たところがよくわかります。水仙の球根も植えることになりました。その水仙が咲いていたところがどこかわかって植えるのは興味深いことだと思います。みんな、ニュースを見てよく知っていましたから、興味の持ち方も一塩です。どこの学校の子供たちも、きちんと話の聞ける子供達です。 
 映像の世界、現実の世界、この時空を超えないとなかなか伝わらないことがあると思います。 
今回は、急なキャンセルのおかげで子供たちに良い報告ができました。 
 矢野小の帰りに大州小に打ち合わせに寄らせていただくと、そこには毘沙門小学校の校長先生がいらっしゃいました。 
お引き合わせを頂き、少しカンナのこと東北のことをお話しました。早速19日午前中にカリキュラムを変更して入れて下さいました。できるだけ直接話をさせていただくと子供たちに鮮明な印象として記憶されると思います。ありがとうございます。 

安田小学校児童会の取り組み

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安田小学校児童会の取り組み
安田小学校から株分けした球根は安田学園の幼稚園から短大までリレーされています。
学園中に咲くカンナは見事でしょう!
ありがとうございます。

安田小学校のカンナは、今年一番の開花となりました。

今回訪ねた日に花芽 がたくさんついていて、すぐにでも咲きそうでした。 予想通り、水仙の球根を届けに翌日に再び訪れると、見事に咲いていました。

今回の取り組みは児童会が中心となって被災地にカンナを送ってくれるそうです。
掘り起こしたカンナはラッピングしてありました。心遣いありがとうございます。
大事に届ける感じが伝わります。

児童会のみなさんのアイデアを出しあって交流して下さい。どのように取り組みをするか楽しみです

また、知らせて下さいね。

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2011年6月 6日 (月)

シベリア抑留、万州引き上げ、中国を縦断して帰国の途に

なかなか、ゆっくりした時間がなく残念ですが、人生の大先輩のお話をもっともっと伺いたいと思うこの頃です。

お二方はお若い時に万州に開拓に出かけた青年開拓義勇隊の方々なのです。
昨年、青年義勇隊慰霊祭で、カンナ浄瑠璃の奉納をさせて戴き(有償でゲスト講師としてよんで下さいました。有り難くストックさせて戴いています)
青年義勇隊のことももっと伺いたいと思っています。
お二方にご縁をつないで下さいました名誉カンナ大使のNさまも、シベリアに抑留され、終戦、戦後と、筆舌につくしがたい体験を余儀なくされていらっしゃいます。

原爆だけではない様々なことを、大先輩のカンナ大使さまは ご存知なのに、カンナのことにご尽力下さいますことに対し、なんとお礼を申し上げたらよいのかわからないほどでございます。 ありがとうございます。
お優しいお顔で柔和にお話下さるお二方ですが、義勇隊の話になると少し険しい表情になられます。

日本に帰れないまま亡くなった方々のために毎年三月に慰霊祭をなさっていらっしゃいます、

戦争は原爆だけではない、義勇隊も、特攻隊も沖縄も東京も……。そして平和は戦争がなくなることだけではないことを深く感じます。

核も、原爆だけでない脅威があったことをまざまざと見せつけられました。

今、整然を生み出すために目に焼き付け させられている混沌……

地球の堅実な未来のために、日常生活も、社会貢献も、できることをできるだけ
また、お会いしてお話伺います!

どうぞお体お大切にこれからもお教え下さいませ。

カンナ大使の皆さま

日曜日は皆さまにお会いできて本当に楽しい、うれしいひと時を過ごすことができました。皆さまありがとうございました。

送迎をして下さったカンナ大使の方々には、特に感謝申しあげます。
レンタカーを借りたこともありましたが、近道も分からず、時間がかかり大変でした。本当にありがとうございます。
冊子を作って下さっているお二方、カンナ大使MさまとYさまには特に申し訳ないと思っています。

情けないと思いますが、私はお金に繋げられないで申し訳ありません。他のことはできるのに、なぜかお金に繋がらないのです。「お金は……」と言われると「いいんです」と言ってしまいます。

自分でもわからないのですが、必要だと感じるとお金に関係なく時間と労力を費やせてしまえるのです。
名古屋のご住職に言われたことがあります。
「仏は慈悲、人間は欲です。その中間の人間が時々います。その人は無我なのです」
私はこのことばに救われました。

私は本当になにも考えていない自分がいます。

若い時、地域で外国の人たちが事件をたくさん起こしていた時期がありました。事件を起こすのは、日本の習慣やマナーやことばがうまく通じないからだと思うと、気がついたら日本語とマナーを教えていました。もちろん無償です、
子供たちに地域でスポーツを指導することを頼まれて10年経った時、「子供たちにはスポーツばかりでは文化が足りない」と感じたら、地域で茶道を無償で教え始めていました。

このカンナも、原爆からたったひと月で咲いて、みんなをどんなに勇気づけただろう。人々は希望を貰っただろうと、なのにみんな忘れてしまった…なんとかみんなに知らせなくては・・・・ただそれだけなのです。

「無我」このことばをいただいた時、もう、なぜしているのですか?の質問には答を出す必要がなくなったのです。
仕方ないのですね。気がついたらやっていたというのが無我なのかもしれません。お金はあったほうが良いです。私もお金はあるにこしたことはないと思います。寄附して下さる方がいつか現れるかもしれません。しかし、寄附がないからと言ってやらないということではないのです。正直、自分の旅費だけでも大変です。
こんな状況を察して助けて下さる方々がカンナ大使になって下さっているのだと思います。この方々も多分「無我」なんだと思います。

この方々のために、まずは、特に無償で冊子を作って下さっているお二方には、なんとか早く負担をかけないようにしたいと思います。

人生の大先輩がこんなに応援をして下さるのです。なんとかしなくてはと……

今回の日程

カンナ大使の皆さまにはいつも感謝しています。また、広島で会いにきて下さることに感謝申しあげます。ありがとうございます。

東北も広島も、お天気に恵まれ、清々しい日曜日の朝、皆さまにお会いできることを楽しみにホテルをでました。

今日は5組8人の方々と、短い時間ではありましたが、日頃のご無沙汰をお詫びして、今までの経過を報告しました。

その方の職業やバックグラウンドはよくは存じあげませんが、カンナが導いてくれるご縁だと思い、有り難く感謝しています。

お会いしたい方はたくさんいらっしゃいますが、明日から帰るまでにあと7人のカンナ大使の皆さまにお会いします。急な日程ですが時間を割いてくださりありがとうございます。

そして、今回は東京から、一人カンナ大使の方が、マイレージの貯まったのを利用して来広されました。初めての原爆資料舘にいきたい、カンナの写真をみたいという方です。
学校関係にも一緒に回ってくださいます。心強いです。
ありがとうございます。

さて、今回の日程は以下です。
16日(月)
午前:私学安田小学校児童会打ち合わせ
午後:矢野小学校講演
大州小学校打ち合わせ
(偶然毘沙門台小学校の校長先生が来校中でお目にかかり、講演決定)
(大州中学校の前を通る、下校を見送る先生に、カンナを植えて戴いている旨を知ったのでご挨拶。なんと、校長先生でした)
送り迎えはカンナ大使Mさま(感謝です)東京都からのカンナ大使Sさま、ここまでご同行
夕方:カンナ大使Mちゃんに報告と結婚のお祝い
夜:カンナ大使Tさまと明日の打ち合わせ
17日(火)
午前:戸坂小学校講演
広島ホームテレビご挨拶。(2008年、取材されたニュースが賞を取る)
午後:大州小学校講演
荒神町小学校カンナ球根届け方々ご挨拶

教育委員会、初の表敬訪問 (偶然エレベーターの扉が開いたら教育長と対面!びっくり!丁寧なメールを戴きました)

送り迎えはカンナ大使Tさまです。感謝です。
夕方:戸坂名誉カンナ大使Nさまカンナ大使Hさま、懐かしい橋本さまと夕食
夜:カンナ大使OさまHさまSさまと
懇親会

18日(水)
午前:名誉カンナ大使の松浦フサコ様ご逝去のお参り(合掌)
お昼休み:カンナ大使Aさまとお茶。昼休みに慌ただしくごめんなさい。ありがとうございます

午後:無料ブログ、ホームページの打ち合わせカンナ大使Dさま。感謝です。

19日(木)
送迎はカンナ大使Nさま
午前:毘沙門台小学校講演

Nさまのお勧めの高台のカフェでランチ

午後:白島小学校球根届ける方々ご挨拶

安田小学校に水仙球根届ける

豊岡、小坂、小野小学校球根掘り起こし本川小学校にて。

夜:カンナ大使Tさまの仲間と懇親会

20日(金)
午前:小坂、小野小学校同行、平和公園慰霊、原爆資料原爆館見学

午後:平良小学校講演
廿日市小学校球根届け方々ご挨拶

東京へ帰る

2011年6月 2日 (木)

米沢から東京乗り継いで広島へ

Hさんのご友人のところを訪ねて、米沢から新幹線で東京へ、30分ほどの乗り継ぎ時間で、最終広島行きの新幹線に乗りました。いつも自由席ですが、ここ2年ほどはいつ乗っても満席です。
最終新幹線も満席でした。名古屋の手前で、私の座席の通路で人が倒れ、緊急停止となり、アナウンスに応えて、お医者様がかけつけるという事態が発生しました。
少しして、気付かれて、最終なので降りたくないとの主張。緊迫した空気が流れました。

そんな中、なんとか無事に広島に着きました。真夜中の12時。ホテルとは名ばかりでエントランスもなく、フロントには、封筒に入った鍵が置いてありました。

びっくりするくらい安いホテルで助かりました。 フロントは8時から10時まで、夜中は誰もいませんが、スタッフは気持ちよく接して下さいます。カンナの球根
が届いたり、水仙の球根が届いたり、変な人だと思ったでしょうね・・

思いがけない東北訪問ができ、子供たちに見たままを伝えられるのはよかったです。水仙も植えることができます。

明日は日曜日で学校は休み。

心の支えであるカンナ大使の皆さまに会えます!

クリスマスの笑顔と赤湯温泉カンナ街道

私が仕事で皆さまにするお話で、「クリスマスの笑顔」という話しがありました。 デール・カーネギー氏の言葉です。

「クリスマス商戦で忙しく働くデパートの店員が、もしも笑顔を忘れておりましたら、どうぞあなたの笑顔を分けてあげて下さい」

いいことばです。

本当は、どんなに疲れていても、プロとして、笑顔を絶やしてはならないでしょう。
しかし、笑顔がない!とクレームするかわりに、笑顔をもらうはずの側のあなたが少しでもいいから笑顔をわけてあげて下さいと。 まさに「恕」なんですね。
彼女は毎日毎日、避難者の皆さまに笑顔をあげつづけていると思います。そして、避難者の皆さまも、そんな彼女に、クリスマスの笑顔をわけてあげていると思います。

俗な言い方のほうがいい得て妙なのであえてもうします。
「人って捨てたもんじゃあない」と

文句をいうのは簡単なこと、江戸しぐさに「うかつ誤り」というのがあります。ぶつかられても怒らす、私もうかちでした。と言ってしまうことです。

話しがそれました。

彼女には元気であり続けなくてはならない状況かと思います。

きっと、避難者の皆さまも笑顔で暮らしていらっしゃるでしょう。ただ、心配なのは、「人はお世話にして頂くだけでは疲弊してしまう、自分も誰かの、何かの役にたっているという意識が必要だ」と、避難者の皆さまに仕事です。

赤湯温泉の町の街路樹の根元にカンナを植えて、それを育てて頂くブロジェクトを立ち上げましょう。

名付けて、「赤湯温泉平和カンナ街道」です。
彼女は町の人たちに声をかけて下さいます。

被災者の皆さまに、毎日責任ある「志事」です。ボランティアですが……

いつか、復興が進み赤湯を離れる時がきます。

また訪れる時に真っ赤な平和と希望の花カンナが咲いているでしょう。

赤湯温泉の皆さまも、カンナを眺めながら、様々なことが走馬灯のようにおもいだされることでしょう。
平和と希望を赤湯にもリレーすることになりました。
とりあえず、彼女の旅館に植えました。

カンナが咲くころには、復興が進んでいることを祈ります。


東北の宿はいっぱい 、空いていたのは一件だけ

広島療院からのキャンセルが急だったことで、広島のホテルにはキャンセル料が発生するため、広島入りは土曜日の最終新幹線に決めました。これに伴い日曜日は朝から夜まで、カンナ大使の皆さま方と少しの時間でもお会いすることができますのはうれしいことです。 メールのやりとりだけでは、なかなか交流は難しいです。

さて、東北ですが、何時の新幹線に乗れば、最終広島行きに間に合うか…です。そして、ホテルも空きがなく、ただ一件、作並と言うところに空きがありました。 石巻から、岩手に行きたかったのですが、ホテルのある作並は山形に近いところだと地図を見てわかりました。
また明日も同じルートを走らせては申し訳ないと思い、翌日はHさんの意見に従い、山形のお友達を訪ねるルートで、私は米沢から新幹線で広島に向かい、Hさんは、会津若松に帰るのがよいとなりました。

雪の出羽三山をみながら、月山はこれから夏スキーだなあと思いました。このカンナプロジェクトを始めてからは、スキーも海も行かなくなってしまったなあ……。

峠を越えて山形にはいるころ、突然、山形には赤湯温泉があることを思い出しました。、私の友人のお嬢さまが嫁いだ先が赤湯温泉の避難所だったことを思い出しました。
お電話して、寄らせて頂くことになりました。

赤湯温泉は、いち早く、避難所として名乗りを上げた温泉です。
まずは、温泉を被災者に提供したことはテレビでも放映されました。
彼女もご主人さまも、被災者さんたちから、お金は取れないと、銀行に融資を申し出ての命掛の人助けです。
ボランティアをする人は裕福だと思われますが、それは全くちがうということを私自身が一番よく知っています。

赤湯温泉の避難所もいつまでかわかりませんが、朝昼晩の無料の食事の提供は大変なことだと思われます。素晴らしい方々だと思います。

この旅館にもカンナのバトンをしたいと思いました。避難者のみなさまに元気や希望を持って頂けたらと思ったのですが…、彼女に会って話しを聴くうちに、彼女こそが一番疲れているのだと感じました。

彼女のお父上さま、すなわち知人は福島のご出身で、今回津波に流されたご親戚もいらっしゃいます。

彼女の思いの深さを感じ涙がでます。

疲れたていると思われる彼女に、私が差し上げるられるのは、カンナとクリスマスの笑顔です。


2011年6月 1日 (水)

たくさんの方の手を添えて植えられたカンナ

マイクを持って、体育館の真ん中に行きました。

小さな声で、「こんばんは。おくつろきのところ、失礼致します。」と少しずつゆっくりと話し初めてみました。

段々と皆さまがこちらに向いてきてくださるのを感じました。お邪魔ではなく少しほっとしました。

「今日はカンナの花を皆さまに植えて頂きたくて、東京から参りました。」

この度の被災にたいして、ことばが見つかりませんが、心から一日も早い、いつもの毎日が戻りますようにお祈り申しあげます。のようなことをお伝えしたつもりですが……適当なことばが使えたかどうかわかりません。
この皆さまの前で、本当に相応しいことばは何なのか正直わからなかった……。
そぐわないことばを言ってしまうかも知れないです。こんな時は言葉が怖いもののように感じます。

「カンナは真っ赤な花が咲きます。 元気をくれる花なんです。
このカンナの花は、今から66年前に、広島に原爆が落とされて、たったひと月で咲いた花なのです。
しかも爆心地から820mのところにに咲きました。

しかし、そのあと、目覚まし復興を遂げた広島は、カンナをの存在を忘れてしまいました。

私は、復興につながった生きる希望と勇気をくれた真っ赤なカンナをもう一度皆さまの心の中に咲かせてほしいと思いました。

今、広島の子どもたちとカンナを植えて咲かせています。
広島の子どもたちが咲かせるたカンナは翌年は、長崎、沖縄、東京、大阪にバトンしました。翌年は、鹿児島、兵庫、京都、神奈川……とリレーされ世界にもバトンされました。フランス、スペイン、香港です。
広島、長崎、日本中の子どもたちが咲かせたカンナの花をリレーして、世界中に咲かせることができたら、原爆なんか落とせなくなると、そう信じています。
カンナは、平和と希望の象徴です。そして、何よりも元気をくれる花です。

今年は、このバトンを皆さまのところに植えさせたて頂けたらと思います。

カンナを咲かせると元気が出ます。カンナが元気をくれます。

カンナから元気をもらったら、今度は自分が周りの人たちに元気を差し上げる番です。

そして、カンナは復興のシンボルではないでしょうかか…。

皆さまの一日も早い復興を祈ります。

今日は五株、鉢と土も持って参りました。

もしよろしければ、一緒に手を添えて 植えて下さいませ。

お寛ぎの時間に、私の話しを聴いて下さり、誠にありがとうございました。」

涙がけらえられなくなくて申し訳ないことをしました。皆さま、泣きたいのをこらえていらっしゃるのに、私が泣いてはならないのです。しかしどうしても涙が出てしまいます。

反対に、ご年配の女性に、よしよしと肩を叩いて頂いてもしまいました。
「貴方みたいな方ばかりだといいのに……」と言われました。

15〜20人くらいの方々が中央に出て来て下さり、一緒に手を添えて、カンナを植えました。

このような植栽をさせていただきありがとうございました。突然の訪問にも拘わらず、ありがとうございました。

「大切に育てますね」「ありがとう、うれしいわ」「こういうものを待っていたの」「咲いたら写真おくります。」「頑張って下さいね」「世界中にカンナ咲かせて下さいね」励ますつもりが、反対に励まされて、涙が止まらなくなりました。 別れ難く、挨拶をして、避難所をあとにした時は、すっかり真っ暗になっていました。

なんの下調べもなく、約束もなく出かけてきたのに、カンナを植えて下さるご縁を頂きました。

カンナの計らいでしょうか…
田辺さんと松浦さんのお導きでしょうかか…

ありがとうございます。
そして、Hさん、車をだして下さり、ずっと運転して下さり、ありがとうございました。疲れたことと思います。
すいせんの球根を掘ったり、カンナを植えたり、道にも二人で迷いましたね(笑)
地図にユンケル、あたたかいお気遣いに感謝しています。ありがとうございました。一緒に復興を祈りました。

石巻へ、飯野川小学校を訪ねて


佐藤さまありがとうございました。

そして、避難所の皆さま、規則が緩やかで有り難くおもいました。
一日も早く皆さまの住まいが決まりますようにお祈り申しあげます。

佐藤さまにカンナの球根を差し上げて、石巻へ向かいます。

アポイントもなく、情報は新聞の切り抜きだけです。
電話番号案内104に訊ねて、飯野川小学校に、電話しました。

私はこういうことをしている者ですが…、とカンナリレーと被災地への株分け植栽のことを伝えました。教頭先生は、「うちの子どもたちは無事です。しかし、体育館に避難している大人たちに、まずは、差し上げて頂けますか?」「わかりました。今から参ります。」道を確認して、向かいました。

飯野川小学校は北上川の流れるあたりにありました。この辺りは無事でした。

避難所の体育館に着いたのは、間もなく陽がくれる頃でした。

教頭先生は出かける予定があり、会えないが、避難所のボランティアの方に話しておきますからとのお話でした。

すぐに、私のことを理解して下さり、カンナを植えることになりました。

少しお話しさせていただくことで、カンナを植える意味がわかり、より皆さまの元気につながるのですが…と遠慮がちに話してみました。
担当者は、「今は寛ぎの時間でで、テレビを見ている人もいますが、大丈夫です。話して下さい。」とマイクを貸して下さいました。
体育館の真ん中でカンナの話しをすることになったのです。

外で待つHさんに事情を話し、鉢に土を入れて頂き、球根とと分けて体育館に用意して頂きました。

こね避難所は、東京武道館とは全く違う様子を呈していました。

囲いがないのです。
フロアーにどの人とどの人が家族かわからないくらい、皆さま一緒に生活しているように感じました。

あとで聞いたことですが、この状態は、避難者の皆さまの希望を取り入れたのだそうです。 隣のおばあさんが見えないと何かあった時に気づかないから、囲いはいらないと……。

プライバシーを気にして暮らす東京とは違う空気があるのです。生活習慣の差を感じさせられました。

しかも、皆さま秩序を保ち落ち着いた安堵感さえ感じさせらて下さいました。
物資をの配給も、洗濯やお風呂の順番も、並ばないのです。列をなさないのです。
暗黙ね決まりや秩序が普段から培われているのだと感じさせられました。

東京は、なんでも並ばないと秩序が保たれない。規則が先でマナーも規則のように扱われる……。 いろいろ考えさせられました。
鍵がなくては暮らせない東京と、鍵なんかかけたことのない暮らしが、こんなにも人間を変えるのだなあと思いました。

どちらが良いとか悪いということではなく、環境が人間を育てるなあとつくづくかんじたということです。
夕食前の白暮の頃、テレビを見て寛ぐ体育館、私は話しても良いのでしょうか……
「本当によろしいのですか?」 「大丈夫です!やってみて下さい」

そう背中をおされて体育館の真ん中に歩き初めました。

ジープは二人乗りー三人ですいせんを助けに行く

ジープは、マットや子どもたちにあげるオセロやパズル、植木ばち、土、戸坂小学校と精道小学校から送られたカンナの球根などの荷物で後部座席は荷台にしていっぱいです。

私は荷物の上に頭も体も屈め三人で蒲生へ行きました。

花を終えたすいせんは、とても津波にあったとは思えないくらいに凜と細い緑の葉をすうと伸ばして風にそよいでいました。
景色の中のそこだけに「生」を感じました。
確かに生きている。希望です。

大切に掘り起こしました。土には白い塩が付着しています。土と塩を払い、葉先を切り持ち帰りりました。
球根を掘っている間に、佐藤さまは、「ここで、経理の仕事していたの。直ぐに庭に出られるようにして……」と話して下さいました。
外壁を直したばかりだったとも……。 遠く残った建物を指し、「あそこに逃げたのです。2階まで津波は来たのを屋上から見ていました」と……

先ほど、ここに立ち、遠くから見たのでは分からないことを見たつもりになっていましたが、また、話しを聞いてわかることがまだまだたくさんありました。
テレビだけでは見えない世界が、ここにありました。現実とはこういうことなのだと感じます。

「すいせんの球根を広島の子どもたちと学校で植えても良いでしょうか?」

この地に立ち、佐藤さまの話しを伺い、ひとつひとつ、球根を掘り起こしている内に、このことを広島の子どもたちに伝えたいと思いました。
すいせんを咲かせてみたくなりました。

「どうぞどうぞ、母も喜ぶと思います。子どもたちに上げて下さい。私はカンナを育てます。ありがとうございました。」「こちらこそありがとうございました。必ず広島ですいせんも咲かせるます。どうぞお元気でお体お気をつけて、早く家が見つかりますように」「仮設住宅に当たり二年間は暮らせますが、そのあとはわかりません…」

妹様が東京武道館のすぐ近くにお住まいと伺い、ご縁を感じないではいられませんでした。

このすいせんは、カンナのように忘れ去られませんように祈ります。

大丈夫ですね。美智子皇后さまが優しく握りしめて下さったすいせんですから、皆の心の中にいつまでも咲きつづけることでしょう!。津波にも負けないで、たったひと月でさいた、尊い命を受け継いだ花として……

避難所、宮城野体育館=宮城野アリーナ

漸く宮城野アリーナにたどりつきました。

Hさんに、東京武道館での規則の厳しかった明日香ちゃんのいっけんを話し、佐藤さまに会えないかも知れないけれど行って参りますと、体育館に入りました。
入った瞬間に、東京武道館とは違う避難所の空気が感じられました。

「こんにちは、ご苦労様でございます。面会したい方がいらっしゃいます。お願いいたします。」恐る恐る尋ねました。「はい、ではこちらにお名前を書いて下さい。面会者はこちらにお書きください」 こちらです。といとも簡単に中に入ることができてしまいました。 明日香ちゃんの時のあの苦労はいったい…… と思うほどでした。

佐藤さまはいらっしゃいました。

事情をお話すると、佐藤さまはカンナのリレーに感動して下さり、球根を欲しいとおっしゃって下さいました。花が大好きで、あの日もすいせんをここに生けていたとペットボトルを切った花瓶を指さしました。

「命がらがら逃げて、この避難所は二ヶ所目です。隣の足の弱い老夫婦を置いてはいけないと、むりやり連れて逃げたおかげで助かりました。お隣のご夫妻がいなければ、逃げろの第一声で、車に乗せて頂くところでした。渋滞の車の列を津波は襲いました。お隣さんを迎えに行ったから車に乗らないで命びろいしました。お二方は命の恩人です。」て……

「避難して、家を見に帰り愕然としました。しかし、そこには、母のかたみとなったすいせんが咲いていたのです。母は花が大好きで、退院したら通院に楽な蒲生に家を買ったのです。一緒に住むために、庭にすいせんを植えて母の退院を待ちました。母はがんとは知らないまま、すいせんの咲く家に住むことなく、帰らぬ人となりました。」

あねすいせんは、お母様の形見だったのです。

そのお母様が、蒲生に家を建てたから、きっと一緒に住めなかったけれど、一緒に住めないのをわかりながら、告知できずに家を建ててくれたお礼に、守って下さったのですね。 そのすいせんだったのですね。
これはなんとしても、守ってあげなくてはならないです。
「一緒にすいせんを掘り起こしに行って下さい。カンナのように、なくしてはならないと思います!」と話しました。「行きましょう!」 と佐藤さまも賛同下さいました。

テレビ局に問い合わせ

出発の前日、すいせんの咲いた場所をテレビ局に訊ねました。仙台の蒲生と言うところです。差し出された方は佐藤さま。避難所は宮城野体育館。
これだけの情報で出かけます。

インターネットで調べたらよいとか、皆さまは簡単に思うかもしれませんし、私に言ってくれたら調べてあげるのに…などと思って下さるのは有り難いのですが、それは私の忙しさの実態をご存知ないからだと思います。私もそうしたいのですが、本当にそんなことすらできない毎日を過ごしています。一緒にいて見て下さればおわかりいただけるのですが……。

福島のHさんは、そんな私を察して、ユンケルに加えて、東北の地図を買って置いて下さいました。

この地図は宝ものとなりました
ボロボロになるほど活躍してくれました。


蒲生はサンドべージュの瓦礫の 町と化していました。高速を降りて見渡すと、海辺の町は、一見、すべてが砂浜かと見紛うほどに、ほとんど平らなところに、ぽつんポツンと、大きな建物が確認できました。

今走っている道のあちこちに、自動車がペシャンコになって集められているところもあります。

海に向かい走ると、平らな浜辺に見えたところは、住宅地と分かり、細い道の両側に、傾いたり、粉々になったり、ガラスだけが打ち破られたり、家の形だけはとりとめたと言う残骸の住宅地に、重機がはいり、瓦礫の町にどこから手を付けてよいやら困惑しながらも、そこかしこで動いていました。

車から降りて見渡すと、先ほど遠見には平らな浜辺に見えた景色は、実は住宅地の人の生活空間だったことがわかり愕然と立ちすくみました。
更に近づくと、 家の土台だけが残り、ここは玄関かな、ここはトイレだったのかな、居間だったのかなと、見て取ることができます。
更に歩みを進め、かがんで見ると、お皿やカップ、アルバム、植木ばち……、その瞬間までの日常が読み取れ、人の談笑がや息づかいが感じられる空間だったことにきづかされ、遠くから見ただけではわからないひとつひとつが、ここに来て初めて、想像でない、現実として見えました。

再度、目線を足元から離し全体を見回すと、ここには、たくさんの人たちが近所付き合いをしながら暮らした、生活の場のひとつひとつの集まりへと広がって感じられます。決して、浜辺なんかではなく、たくさんの人たちの生活空間だったことがパノラマのように私をとりかこんで広がっています。

作業をする人たちの他には人は誰もいません。

「宮城野体育館はどちらでしょうか?」と聞いても分かるはずもなく、ジープはぐるぐると同じ辺りを回ります。

ここに避難所があるわけもないことに気づき、宮城野地区の学校を探してみることにしました。

迷って迷って漸く宮城野に学校を見つけました。

鶴巻小学校でした。訊ねた先生はとても丁寧に道を教えて下さいました。

学校の体育館ではなく、所謂、アリーナと呼ばれる大きな施設だと教えて下さいました。

「こちらの学校はご無事で何よりでした。」と申しあげますると、「建物は大丈夫ですが、子どもたちの半数は、家を流され、親をなくしています。子どもたちも流されたり行方不明になっています」思いがけないお返事でした。

大丈夫にみえた学校の実際を目の当たりにして、ただ走っているだけでは、なにも見えてこない恐ろしさを知りました。

「先生、私は原爆からひと月で咲いて、広島の人たちに復興への希望と勇気を与えたカンナの花を世界中にリレーさせている橘と申します。今回はそのカンナを植えて頂き、育て、咲かせることにより、元気をカンナからもらって頂きたく、一日も早い復興を願う者です。よろしければ、カンナを植えて下さいませんでしょうか…」教頭に伝えて来ますとその先生はおっしゃいました。教頭先生がいらして「こういうものを待っていたんです。」とおっしゃって頂き、植える場所も早速用意下さいました。
あんなに躊躇したカンナ植栽、「こういうものを待っていてた…… そうなんですね。 そうなんですね

私も勇気を頂きました。 学校を訊ねみよう! そう思える力を下さいました。ありがとうございました。必ずまた、参ります。子どもたちにカンナの話しをしに参ります。 必ず!

広島入りの前に東北へ

豊岡の修学旅行が決まり、その前後に広島の学校で、掘り起こしと講演ができますようにと思います。各学校に連絡しました。
間際まで、それこそパズルのように日程を調整するのが、意外と大変な作業なんです。
そんな中、一件の電話がありました。ある療院が、カンナをコンセプトにしてオープンすると、カンナ大使Uさんからでした。うれしい知らせでした。日曜日にオープンのセレモニーがあるので、そこで、私がカンナの話しをさせていただくことになりました。 前日に会って打ち合わせも必要とのこと、土曜日から広島入りとなりました。 豊岡の修学旅行までちょうど一週間……、宿泊費を考えると……痛い出費です。
土日は学校が休みなので、旅費がもったいないと感じてしまいます。
でも、せっかくのご縁です。喜んで承りました。
一番安いホテルをとって、仕事も調整しました。
広島入りの3〜4日前になり、先方からお電話があり、内輪だけの会になってしまいましたと、キャンセルになりました。「わかりました。また、機会がありましたら、お誘い下さいませ。これからもご縁をよろしくお願いいたします。」 と言って切りました。

キャンセルは残念ですが、ご縁があれば、またきっとお話があるはず。

今回は、この降ってわいた休日を有り難くおもいました。どう使おうかと考えました。「そうだ!東北に行こうか!」
時期尚早かと躊躇していた、被災地へのカンナ植栽ですが、ふいにできた休日です。とにかく出かけようと思いました。
学校の様子も見てきたいので、前日、金曜日から出かけようと思いました。
福島のカンナ大使のHさんにお話してみました。「いいよ!行こう!」と言ってくださいました。しかも、ジープを持っていると…びっくりです。ジープならどんなところでも行くことができます。有難い申し出に感謝いたしました。
前日も仕事に追われ、遅くに帰宅。参考資料として、86歳85歳のカンナ大使の方が製本して下さる冊子と、その続編を仕上げて、印刷、製本して持って行こう!
そう思い、結局、朝になってしまいました。
急いでパッキングをして、始発は逃したものの、なんとか、福島に向かいました。
福島にはジープのHカンナ大使さんが、徹夜を心配して、ユンケルを買って待っていて下さいました。
さりけまない優しさに涙がでます。
ありがとうございます。
おかけさまで、寝ることなく、東北の景色の変化をずっと見ながら行くことができました。

高速道路を隔て右手は瓦礫と泥色の景色。左手は、田植えを待つ水を張った田んぼの緑。 対照的な景色でした。 高速道路が津波の害を防いだのだそうです。
今回の東北での大事なことのひとつに、すいせんの球根を救うことがありました。
仙台の避難所で、美智子皇后さまがすいせんの花を「いただけますの?」とおっしゃり、両手で大切にお持ちになったお姿をテレビでご覧になった方も多いかと思います。

あのすいせんは、津波にも負けずに、健気に咲いた花です。
しかも、津波から、約ひと月です!

カンナと同じです!たったひと月で、花は健気にも咲いて、私たちに、「生きられる」という希望と勇気を示してくれるのです!

私は、あのすいせんを助けたいと思いました!

津波にも負けずに咲いた尊い命なのに、重機が人々の手で根こそぎ刈り取られるのを見捨ててはおけないと思ったのです。
あんなひどい津波にも負けないで、人に生きる望みを与えた花の命を人の手でなくしてはいけないと思います。
そうです。 カンナはあんなにひどい原爆にあいながらも 命を繋いだのに…、復興への作業に、人の手で刈り取らてしまう運命でした。そして、誰の記憶からも消えてしまったのです。

すいせんの球根は守りたい!まもらなくてはと強く思ったのです。


修学旅行2日目 平和公園〜資料館〜宮島

豊岡修学旅行2日目は、平和公園で、千羽鶴を手向けることから始まりました。
この日のために学校でみんなで折ったのですね。
修学旅行の学校が同じように、千羽鶴を手向け、黙祷を捧げました。

資料館に入る前に、カンナの写真のことを話しました。
豊岡の子どもたちは気付いてくれるでしょうか…、なにかを感じてくれるでしょうか…

私も見学し、ひと足先に、写真の前で待機して待つことにしました。

展示物のラスト、吉永小百合さんのナレーションもある展示なのに、皆さま通り過ぎて行きます。
展示物だとは気付いかないで出てしまわれるのは、とても残念です。松本栄一記者のこの一枚に向けられた心、そして、この写真を掲げた元館長さんの思い…。ほとんど誰も気づかないのです。

豊岡の子どもたちは、写真の前で立ち止まり、写真の花を見て、「75年は草木も生えない……」を声にだして読んでいます。

豊岡に帰ったら、カンナ育てて下さい。
そして、今年は東北に植えましょう!

宮島に向かうバスを見送りました。

例年の「春のカンナプロジェクト=球根株分け」&「兵庫県、豊岡からの修学旅行」

今年も、カンナ株分け植栽の季節です。

豊岡の小野小学校、小坂小学校の広島修学旅行の日程に合わせて、昨年からは、本川小学校でカンナの掘り起こしをしています。
二校とも、既にカンナを咲かせて下さった学校です。昨年も六年生に講演をしてカンナを咲かせて頂きました。 今年も六年生にお話して、掘り起こしてもらいます。
豊岡の六年生は、バスと新幹線を乗り継いで一泊二日のスケジュールで、市内の原爆学習スポットをまわります。
本川小学校の資料館もコースですので、せっかくだから、交流して頂きたいと思い、本川の校長先生にお願いして実現したものです。子どもたちが交流できないことはとても残念ですが、カリキュラムが大変なのはよくわかりますので、しかたないと思います。掘らせて頂けるだけでも感謝です。
しかし、掘り起こし作業中に、「なにしてるの?」と…、在校生が、カンナのことを知らないのは寂しいことです。
講演をして植栽をした子どたちは今は中学二年生。後生に伝えるためのカンナ植栽ですが、現実は厳しいものがありますね。
そんな中、校長先生の配慮で掘らせて頂きましたことに感謝いたします。

豊岡でも、校長先生が二校ともに替わりました。また一からになるかなと思っていましたら、なんと、昨年講演・植栽した、城崎小学校の教頭先生が校長先生でした。しかも、今年の担当校の校長先生だったのです。うれしい再会となりました。

豊岡の子どもたちは、汗だくでカンナを掘り、株分け植栽のために持ち帰りました。一緒に堀りながら、簡単にカンナの話しをしました。


明日は原爆資料館です。 しっかりカンナの大きな写真を見て来て下さいね!


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