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2011年6月 1日 (水)

ジープは二人乗りー三人ですいせんを助けに行く

ジープは、マットや子どもたちにあげるオセロやパズル、植木ばち、土、戸坂小学校と精道小学校から送られたカンナの球根などの荷物で後部座席は荷台にしていっぱいです。

私は荷物の上に頭も体も屈め三人で蒲生へ行きました。

花を終えたすいせんは、とても津波にあったとは思えないくらいに凜と細い緑の葉をすうと伸ばして風にそよいでいました。
景色の中のそこだけに「生」を感じました。
確かに生きている。希望です。

大切に掘り起こしました。土には白い塩が付着しています。土と塩を払い、葉先を切り持ち帰りりました。
球根を掘っている間に、佐藤さまは、「ここで、経理の仕事していたの。直ぐに庭に出られるようにして……」と話して下さいました。
外壁を直したばかりだったとも……。 遠く残った建物を指し、「あそこに逃げたのです。2階まで津波は来たのを屋上から見ていました」と……

先ほど、ここに立ち、遠くから見たのでは分からないことを見たつもりになっていましたが、また、話しを聞いてわかることがまだまだたくさんありました。
テレビだけでは見えない世界が、ここにありました。現実とはこういうことなのだと感じます。

「すいせんの球根を広島の子どもたちと学校で植えても良いでしょうか?」

この地に立ち、佐藤さまの話しを伺い、ひとつひとつ、球根を掘り起こしている内に、このことを広島の子どもたちに伝えたいと思いました。
すいせんを咲かせてみたくなりました。

「どうぞどうぞ、母も喜ぶと思います。子どもたちに上げて下さい。私はカンナを育てます。ありがとうございました。」「こちらこそありがとうございました。必ず広島ですいせんも咲かせるます。どうぞお元気でお体お気をつけて、早く家が見つかりますように」「仮設住宅に当たり二年間は暮らせますが、そのあとはわかりません…」

妹様が東京武道館のすぐ近くにお住まいと伺い、ご縁を感じないではいられませんでした。

このすいせんは、カンナのように忘れ去られませんように祈ります。

大丈夫ですね。美智子皇后さまが優しく握りしめて下さったすいせんですから、皆の心の中にいつまでも咲きつづけることでしょう!。津波にも負けないで、たったひと月でさいた、尊い命を受け継いだ花として……

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